今回は、日本の将来の話をしたいと思います。 まず1つ目は先日、日本経済新聞の名物コラム「大機小機」に「 日本の学生の無関心は危険」と題した文が掲載されました。 そこには、要約すると以下のように書かれています。
ゴールデンウィーク中にとんでもないことが起きました。 為替がなんと一瞬1ドル=160円を付け、その後日本政府側が為替介入したために 151円台まで動くという、すさまじい展開になりました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今年は年始からびっくりするような出来事がいくつもありました。
皆さん、こんにちは。浅井隆です。 今回は非常に不思議で興味深い話題についてお話ししたいと思います。 最近、『2025年7の月に起きること』という本が第二海援隊から発刊されました。
皆さん、こんにちは。 現在、ニュージーランドでこのコラムを書いています(3月3日に無事に帰国しています)。 今回も引き続き、「この国のかたち」について述べたいと思います。
今回は前々回のコラムの続きとして、「この国のかたち」について述べて行きたいと思います。 私は、日本という国は根本から変わらなければならない時期に来ていると痛切に感じています。
今年は、年頭から波乱の幕開けとなりました。 ご存じのように、元旦に能登半島で巨大地震が起こり、能登半島の沿岸部各地で津波が発生しました。
昨年の年末はニュージーランドのお話をしましたが、 今回は「この国のかたち」について考えてみたいと思います。
皆さんこんにちは。浅井隆です。私は今、ニュージーランド(以下NZ)に来ています。 このたび、私の会社㈱第二海援隊では、NZツアーを4年ぶりに催行しました。
今回は、特に人間力の大きな部分である「耐える力」についてお話します。 私は、日本がいま大変な分岐点に来ていると思っています。
私は「人間力」という言葉が好きです。人間が持つ総合力、これを磨いて行かなければ 世の中では成功できませんし、不遇のうちに死なざるを得ないでしょう。
今回のコラムは、「成功の秘訣」というテーマでお話ししてみたいと思います。 私は現在68歳で、今年の12月には69歳になります。
前々号(第228号)の続きです。 私が健康長寿に向けてやっていることは、第228号で上げたこと以外にもあります。 まずは「温熱療法」です。
まず、記念写真のお話から始めたいと思います。 今月、私が顧問を務めている「一般社団法人 世界の子供たちのために」 通称「CheFuKo」(チェフコ)というボランティア団体が、 戦争の真っ只中にあるウクライナに、3名の人員を派遣しました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 このコラムではいろいろなテーマについてお話していますが、 今回は人としてもっとも基本的なこと、「健康」についてお話してみたいと思います。
今回は、最近の日本経済の状況についてお話しします。 昨年は日本国債が売り浴びせられ、それを日銀が買い支えた反動として急激な円安が進み、 それを是正するため昨年12月20日に、日銀が長期金利を上げざるを得ない状況となりました。
皆さん、こんにちは。 今回は、先日訪れた北海道での体験についてお話ししたいと思います。 毎年6月の上旬には、私の札幌講演会が開催されるのですが、私は講演会の後、親しくしている私の大ファンの会員さんに会いに行きます。
私がかねてから主張しているように、 「800年周期説」ではこれから800年間は西洋が没落し、 東洋が栄えます。おそらく、将来的には中国かインドが覇権を握るでしょう。いや、イスラム文明かもしれません。
戦後の日本人には、長らく「三種の神器」という夢がありました。 これは、日本神話に登場し現在も皇室が所有する三種類の宝物のことではありません。
前回のコラムで、日本は米中の間で今後生き残って行くにあたって 大変な問題を内部に抱えていることをお話ししました。
数回、昨年末亡くなった父親について述べさせていただきました。 今回はその前に連載していた「現代の危機」についての話に戻したいと思います。
もう一回だけ、このコラムにて父親について書かせていただきたいと思います。 以前も少し書きましたが、戦後、父親は、今でいう新橋あたりの駅近くの闇市で、“ふかし芋”を売って生計を立てていました。父親の店は、大変人気があったそうです。
前回からの続きで、昨年末に亡くなった父の話をしたいと思います。 父は、関東大震災の2年後に生まれました。翌年は昭和元年、新しい時代の幕開けです。
先日、私は今までの人生において最も悲しかったことを経験しました。 個人的な話で恐縮ですが、昨年の12月に実父が亡くなりました。97歳でした。 約100年生きたわけで、「よく生きた」「大往生」と言ってよい人生だったと思います。
前回は訪れていたニュージーランドで遭遇した災害に関連して、まさに「危機」についての緊急レポートを書きましたが、 今回は引き続き「現代の危機」について身近な話を進めて行きたいと思います。
皆さん、こんにちは。 私は去る1月28日から3月5日までニュージーランド(以下NZ)に 滞在していたのですが、今回の滞在では何とも悲惨な目に遭いました。
前回説明しました「800年周期説」に関連して、「覇権の移行」というものがあります。 これを、図で説明して行きたいと思います。
前号でお伝えした「800年周期説」というものを使って、激動の歴史を振り返って行きたいと思います。 私の本の読者の方はご存じかもしれませんが、 初めて聞くという方もいらっしゃると思いますので、詳しく説明したいと思います。
今回は、「日本の危機」について引き続きお話ししたいと思います。 前々号の年頭のご挨拶で、金利の話から始まり日本国破産が近づいているという話をしましたが、 今回は、さらに壮大な話をしたいと思っております。
皆さん、こんにちは。皆さんにお知らせしたい重大な事が起きました。 ご存じの通り、年末の12月20日に突然、日銀が政策の大転換をしました。
皆さん、明けましておめでとうございます。 いよいよ2023年になりました。普通、お正月にはおめでたい話をするものですが、 今日は皆さんのためにあえて厳しいお話をしたいと思います。
前回からの続きで、最後にニュージーランドの話をしましょう。 2022年8月からニュージーランドは、ワクチン証明すら必要とせず入国できるようになりました。 現地で隔離されることもありません。本日は海外の話題をお届けします。
本日は海外の話題をお届けします。今年、2022年に私は3度、海外へ行きました。 アメリカ、シンガポール、そしておよそ2年半ぶりに大好きなニュージーランドにも滞在しました。
幕末には外国人が持ち込んだ色々な病気が入ってきて、多くの人たちが命を落としました。 中でも「コロリ」という熱病は強力で、それこそバタバタと人が死んでいきました。 人々は、未知の流行り病におののきました。
さて、前回掲載しました40年周期(80年周期)についてですが、 1905年から45年の「下降周期」に、果たして何があったのでしょうか。 順を追って見ていきましょう。
新シリーズの第2回目です。 今回は、この新シリーズのテーマのひとつでもある 「日本の危機」についてお話ししていきたいと思います。
これまで月に2回、このコラムを更新してきましたが、最近多忙なこともあり、 誠に恐縮ですがこれからは月に1回の頻度で更新してまいります。 なお、今回のコラムから「新シリーズ」ということで、心機一転して内容をお伝えします。
ダイヤモンドも良いですが、私はオパールにも興味があります。 オパールには「ブラックオパール」 「ファイヤーオパール」などいろいろな種類がありますが、 「ファイヤーオパール」はマレーシアに行った時に見たことがあります。
今回は、少し特殊なお話をしたいと思います。「ダイヤモンドと宝石」というお話です。 女性の中にはキラキラ光るものが大好きで、ダイヤモンドの指輪を持っている人も多いことでしょう。
前回から話題の祖父がまだ新潟にいて裕福だったころ、小さかった私の父親を膝の上に乗せて、 晩酌をしながらよくこう言っていたそうです――「乃木将軍だけは、困った人だった」と。
私がとりわけ日露戦争に興味を持っている理由の一つに、 私の父親の父親 (私のおじいさんになります)が“伝令”として参加していたことがあると思います。 私が生まれる前に祖父は亡くなってしまったので、残念ながら会ったことはありません。
また、この戦争がいかに命がけだったかを知るエピソードもあります。 なんと、驚くべきことに当時の日本軍には、補給の概念がありませんでした。
日露戦争当時は、政治家たちも優れていましたが軍人も優秀でした。 とりわけ、陸軍のトップは傑物揃いでした。 大山巌という人物が満州軍の総司令官を務めていたのですが、 彼はなんと西郷隆盛の従兄弟だったのです。顔も似ていたと言われています。
前回からの続きですが、この『坂の上の雲』という話は実によくできているというか、 うまく考えて構成してあると思います。登場する主人公が一人ではなく3人なのです。 一人の英雄を語るのではなく、群像劇として描くことで話の奥行きが何倍にもなっているのです。
さて、明治維新というのは幕末あれほど志士たちが大騒ぎした『尊王攘夷』の『攘夷』を かなぐり捨てて倒幕が成功して、新政府ができると同時に開国するという、 実に不思議な革命だったわけですが、外国との鍔迫り合いはその後も続きました。
今回からは、私が最近よく読んでいる本について話をしたいと思います。 私自身、出版社を経営し、多くの本を出版してきましたが、 「本を書く」というのはそう容易なことではありません。
さて、今回は和食の話をしようと思います。 和食のなかでも寿司や鰻などは、嫌いな人がいないというほど日本人から愛されていますね。 鰻は外国人には浸透していませんが、寿司店は世界中ありとあらゆる場所にあります。
今回は、食にまつわる思い出の中でも、今までの人生の中で 「一番奇妙だったレストラン」についてお話ししたいと思います。
もうすでに多くの報道がなされていますが、ついに、あのロシアがウクライナに侵攻をするという、 信じられない暴挙に出ました。 多くのウクライナ国民が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされており、 食糧もないままの悲惨な状況となっています。
前回からの続きで、「健康食」についての話題です。 飲み物の話も少ししましょう。 昔は、ホテルのラウンジなどでは一度淹れたコーヒーを2時間も3時間も温めていました。
「食の思い出」シリーズの6回目は、「健康食」についてお話したいと思います。 現在、私は徹底して無農薬やオーガニックのものしか食べないようにしているのですが、 その話をしていきたいと思います。
今回は「名古屋の食」についてお話ししたいと思います。 昨年10月、毎年恒例の「浅井隆 名古屋講演会」があり、名古屋へ向かいました。
今回の「食の思い出」は駅弁です。 私の年代は、現在のJRのことを「国鉄」と呼んでいました。
年末年始号に入る前に連載を始めていた「食の思い出」について再開したいと思います。 今回は、「そば」を皮切りに「和食の伝統と地域性」について書いていきたいと思います。
皆様、あけましておめでとうございます。 今年も皆様に楽しんで頂けるよう、様々な内容のコラムを書いて行きたいと思います。
皆さん、こんにちは。今回は、年末号として内容を考えてみました。 日本人にとって年越し、そしてお正月というものは、やはり特別なものがありますね。
前回から食の思い出についてお話ししていますが、今回は今まで私がいろいろなところに行って 食べた中で、覚えている限りで一番美味しかったレストランと一番まずかったレストランの お話をしたいと思います。
今回は、「食」についてお話したいと思います。昔から「医食同源」という言葉があります。 この言葉は中国の「薬食同源」という思想を元に日本で作られた造語ですが、 簡単に言うと私たちが毎日食べている物がその人の健康を決める、という考え方ですね。
そして、次の決断は25歳の時に毎日新聞社に入社したことです。 実はその頃、学生ビジネスとして塾を経営していまして、下手なサラリーマンより稼いでいました。
人生には何度も決断の時があります。 右と左どちらの道に行くべきか、どこの学校に入るべきか、どこの会社に就職すべきか、 会社を辞めるべきか、あるいはこの人と結婚すべきかなどいろいろな選択がある中、 他人のアドバイスを受けたりもしますが、最終的には自分の判断で決断することになります。
その後、村田蔵六(大村益次郎)は長州に戻り長州藩士になります。 今で言えば長州藩は“過激派”ですから、幕府は長州藩を処罰するために長州征伐を起こします。
村田蔵六(大村益次郎)は、咸宜園で漢学を学び、 その後、緒方洪庵が大阪に開いた私塾「適塾」(適々斎塾)入り、蘭学、医学を学びました。
今回の話題は、歴史好きの私が興味を持っている人物の一人、大村益次郎を取り上げたいと思います。 大村益次郎の名を知らない人も多いかもしれませんが、彼がどういう人物で何をしたかということは 知っておくべきです。
9月初頭に北海道に行って来ました。釧路の北、釧路湿原の中を釧網線(せんもうせん)という ローカル線が走っていて、その沿線に「塘路(とうろ)」という小さな駅があります。
三回目の話は、毎日新聞社時代の神戸でのいくつかの思い出です。 私は25歳でカメラマンとして入社してから4年間、毎日新聞大阪本社の写真部勤務でした。
二番目は、以前このコラムでもお話ししましたように学生時代のことです。 私は大学が休みのたびに長崎に行っていましたが、その時の話です。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今日はちょっと風変わりな、普段皆さんがあまり話題にする事がない話をしたいと思います。
敦煌には、莫高窟(ばっこうくつ)に代表される壮大な仏教遺跡があります。 敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に・・・
一晩かけて、寝台列車は「ゴビ砂漠」に向かって東進しました。 ちなみに中国ではゴビ砂漠ではなく「ゴビ灘」(ゴビタン)と呼ばれています。
前回のコラムでは、2000年に実施した初めての中国ツアーについてお話ししました。 その後、2002年に「中国金鉱山視察ツアー」なるものを実施しました。
さて、再び中国に話を戻しましょう。中国がこのようになったのは、 共産党がどうこう言う以前に歴史的な背景からくるものの方が大きいかもしれません。
さて、前回はだいぶ脱線してしまいましたが、私が親しい知人と(恐らく1997年だったと思います) プライベートで中国に行った時のお話に戻りましょう。
今回は、中国について話してみたいと思います。 今や中国はアメリカと覇権を競い合う大国に登りつめたわけですが、 皆さんは中国についてどういうイメージをお持ちでしょうか?
前回はニュージーランド行きの飛行機の中で吉永小百合さんにお会いした話をしました。 それはさておき、ニュージーランドには豊かな手付かずの自然が全土に残されており、 世界中の多くの人たちに人気があります。
前回に続いて、ニュージーランドの話をしたいと思います。 私が初めてニュージーランドに行ったのは、1997年のゴールデンウイーク前頃だったと思います。
今回は、私の第二の故郷とも言うべきニュージーランドについてお話ししたいと思います。 ニュージーランドについては、今まで本も出しましたし、講演会でもいろいろと話をしてきました。
今回のコラムでは、非常に特殊な話をします。 現在日本では、新型コロナウイルスの変異株を中心に第4波がきています。特に、大阪は東京よりも 感染者が多く関西圏はパニックに陥っています。今後、いったいどうなるのでしょう?
そうこうするうちに、とうとう帰国の途につくのですが、 なにしろ当時はHISのような旅行業者はありません。 格安航空券(もちろんエコノミーです)を安いところで買い、帰りは南回りで帰国しました。
ヨーロッパを旅した後、再びロンドン からボーンマスへ戻りました。 10月末か11月初旬だったと思いますが、もう本当に寒かったことを覚えています。
ローマを後にした私は、「コモ」という町に行きました。 私はヘミングウェイが好きだったのですが、彼の有名な小説で第一次世界大戦を描いた 「武器よさらば」(映画のタイトルは「戦場よさらば」)という作品があります。
久しぶりに第154回のコラムに続く、 私の大学時代のヨーロッパ遊学の話の続きをしたいと思います。 フランスの「カルカッソンヌ」に行った時は、10月の末に近かったと思います。
さて、もう一つの縁のある地、北海道についてもお話ししましょう。 北海道といえば、私はやはりあの雄大な自然が大好きです。 大自然を満喫するだけでも心地よいものですが、私の場合、人との縁も不思議と多いのです。
さて、再び話を九州に戻しましょう。 九州は独特の食文化というか、味覚も興味深いものがあります。 九州の醤油は、関東と違って“甘い”ですし、味噌も白みそが多いのです。
皆さん、こんにちは、浅井隆です。 3月に入りましたが、ここ東京もそうですが緊急事態宣言下に置かれたままの所もあり、 なかなか思うように動けない日々をお過ごしのことと思います。
皆さんご存じの通り、現在の1万円札の肖像画は「福澤諭吉」です。 福澤諭吉先生が残した有名な言葉として、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が 真っ先に挙げられますが、私は福澤先生が自伝に記したある言葉に強烈なインパクトを受けました。
皆さんこんにちは。浅井隆です。 つい最近、私としては非常に変わった本を出版いたしました。 私がいままでに出してきた本は、ほとんどが経済のトレンドに関するものです。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今回は緊急コラムをお届けします。 昨年3月に続き、再び「緊急事態宣言」が出されました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今回は私がこれまで訪れた国の中でも非常に印象に残った 「チュニジア」という国についてお話しします。 チュニジアと聞いても「よくわからない」という方も多いと思いますが、 地中海に面した北アフリカの国です。
寝台車に乗るお金がなかったので、私は6人のコンパートメント席に乗りました。 今は違うと思いますが、当時のヨーロッパの列車というのは通路が真ん中ではなく、 左右どちらかにあったのです。よく昔の映画にありますが、 窓側に通路があって反対側がコンパートメントの4~6人掛けの長椅子になっている形です。
イギリスでのホームステイを終え、いよいよ9月末から10月末までの約1ヵ月間、 リュックを背負ってヨーロッパ一周旅行に出掛けました。 「ユーレイルパス」という、ヨーロッパ内(イギリスは適用外なのですが)が なんと特急列車の一等まで乗り放題の鉄道チケットがあり、21日間のものを買いました。
あけましておめでとうございます。 年頭に当たり、皆様の1年に幸多きことを心よりお祈り申し上げます。本年もよろしくお願い致します。 昨年末の前号に引き続き、昨年の総括、そして今年年初の予測をお話ししたいと思います。
皆さん、今年もいよいよあとわずかとなりました。 2020年ももうすぐ終わりますが、コロナ一色のすさまじい年でした。 ちょうど1年前のクリスマス、そしてお正月は平穏でした。
その後の英国では、語学学校とホームステイがパッケージになっているツアーを申し込んでいました。 一人でその集合場所に向かったのですが、そこが「ボーンマス」という とても遠い場所だったので、たどり着くまでが大変でした。
今回は、5ヵ月半にわたるヨーロッパ遊学についてお話しします。なぜ遊学かと言いますと、 別に海外の名門大学に留学したわけでもありませんし、ホームステイしながら語学学校に通い、 最後にヨーロッパ中を列車で周るという約5ヵ月半の“旅”だったからです。
前回は長崎での思い出をお話しましたが、今回は大学3年の時、ちょうど20歳の時に起きた、 私の人生を変えた「転機」についてお話します。 私には、どうもちょうど10年ごとに転機が訪れるようなのですが、その中でも一番印象的な出来事です。
千葉の柏の公団に住んでいた小学生の時のことですが、母親の親友のおばさんに、 私より5つか6つくらい上の娘さんがいました。 母親同士が親しかったのでよくお互いの家に遊びに行き、 その人が私のお姉さん代わりといった感じでした。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、 私は「経済トレンドレポート」という会員制のレポートを10日に1度、発刊しております。
第141回では私が出会った有名人のお話をしましたが、 今回は私が今までに出会った政治家たちについてお話ししたいと思います。 まず、私と最も因縁があった政治家と言えば、中曽根康弘元首相です。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今回は猛威を振るう新型コロナウイルスの影響についてお話しましょう。 私が実際にこの目で見た「街角景気」、 そして長期的に見たこの国の行く末についてもお話ししたいと思います。
すでにこのコラムでもご紹介しましたとおり、私は第二海援隊という会社を立ち上げる前、 毎日新聞社でカメラマンをやっていました。 カメラマンの仕事というのは雑多で、女優のインタビューからJALの御巣鷹山墜落事故の取材まで、 まさに天国から地獄まであらゆるものを撮ってきました。
皆さんは“ポーランド”というとどんなイメージをお持ちでしょうか? 冷戦時代、レフ・ワレサという労働運動の指導者が労働者たちを集め、港町でデモを起こし、 弾圧を受けながらも政権を握ったという、世界的にも有名な「ポーランド民主化運動」がありました。
マデイラ島はモロッコの沖合にありますが、モロッコも魅力的な所です。 実は、今年の5月にモロッコに行こうと思っていたのですが、 このコロナ騒ぎで行けなくなってしまいました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 人生には3つの坂があると言います。 一つ目は“上り坂”、二つ目は“下り”、 そして三つ目は“まさか”ですね。 今回、本当にコロナウイルスによる“まさか”がやって来てしまいました。
先日のこのコラムの中で、私の父親が60歳を過ぎてからボランティア団体を立ち上げた、 という話を書きました。若い時から私も父を見習いたいと思っていましたので、 数年前に「一般社団法人 世界の子供たちのために」(通称:CheFuKo)という ボランティア団体を立ち上げました。現在も、積極的に活動しています。
前回の続きです。 さて、祖父は奇跡的に戦場を生き残って帰って来たわけですが、昭和恐慌(昭和4年:西暦1929年)の時、他人の債務をかぶってしまい、工場を潰してしまいました。
コロナウィルス感染予防のため、家でご家族と一緒に過ごされているという方も多いかと思います。 こうした時こそ、家族の「歴史」について話をするにはよい機会でしょう。 そこで今回は、私の祖先についての「ファミリーヒストリー」をお話し致します。
最近は、日本も世界もどこも新型コロナウイルスの話題が多くてどうにも暗いので、 今回は楽しい話をしたいと思います。 美輪明宏さんという不思議な魅力を持つ歌手がいますが、実は私は濃厚接触をしたことがあるのです。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 今回は猛威を振るう新型コロナウイルスの影響についてお話しましょう。私が実際にこの目で見た 「街角景気」、そして長期的に見たこの国の行く末についてもお話ししたいと思います。
前回に続いて、私が今までの人生で体験した一番の「緊急事態」について述べて行きたいと思います。 ここから先は後でわかった話ですが、私が朝、ホテルで目覚めるまでにどんな事が起きていたのか――。
現在、新型コロナウイルスの流行により、日本全国に「緊急事態宣言」が出されています。 日本という国は、緊急事態が到来してから泥縄式に法律を作るような国家ですが、 緊急事態というのは必ず起こるものです。 今回は、私が人生で体験した一番の「緊急事態」について二回にわたって述べたいと思います。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 第二海援隊は情報を発信する会社であり、有事の際は会員の皆様を守るために情報発信を 継続せねばなりません。これが私たちに課せられた責務です。
皆さんこんにちは。浅井隆です。 前々回のコラムの写真で、ニュージーランドからハワイ経由で帰国したことを少し述べました。 今回はハワイの様子を少し書いておこうと思います。
さぁ、今回のコラムは前回までとはガラッと違う内容にしたいと思います。 どこもかしこもコロナウイルスの話ばかりで、気が重くなってしまいますので、 あえて違う分野の事を書いてみたいと思います。
新型コロナウイルスの感染が、日々急速に広まっています。世界中で亡くなる方がどんどん増えています。 各国は、感染を防ぐために人々の外出を禁止して都市を封鎖し、 “戦争”という言葉までを使って対策を講じています。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 前回に続き「緊急メッセージ」を発信します。 このコラムを収録している3月26日の昼時点で、いよいよ東京は深刻な局面に差しかかっています。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 新型コロナウイルスの感染拡大で、世界は今、大変なことになっています。 今年のお正月はゆっくり過ごせた方も多いと思いますが、 その時から比べると世界の状況は全く変わってしまいました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。私は今(2月25日現在)、ニュージーランドの北島に来ています。 こちらは、非常に過ごしやすい気候です。ニュージーランドには北島と南島があるのですが、南半球に位置していますからここ北島の方が暖かいのです。
皆さんは「培養上清(ばいようじょうせい)」という言葉をご存知でしょうか? おそらく、何のことかわからない人がほとんどでしょう。 再生医療に関わる話ですが、医者でさえも知らない人が結構いると思います。
前回は温熱の話を中心にしましたが、今回はサプリメントの話を中心にお伝えしたいと思います。 以前のコラムでもお話ししたと思いますが、私は子供の頃から結構体が弱かったため、 健康の維持、向上には人一倍、注意を払ってきました。私は普段、医薬品は一切飲んでいません。
これから数回にわたり一番大事な話しをしたいと思います。 つまり、この世の中で一番大事なこと、このコラムを見て下さっている皆さんにとっても、 私にとっても一番大事な話です。
さて、火山に関連してもう一つだけお話ししておきたい事件があります。 それは、私にとっては非常にショッキングな出来事でした。 私が毎日新聞を辞めるちょっと前、ちょうどバブルが崩壊してすぐの頃です。
先日、私がニュージーランドから帰国した直後に、ニュージーランド北島沖の火山島、 ホワイト島(英語名:ホワイトアイランド)が突然噴火し、 観光ツアーで訪れていた豪華客船の一部乗客が巻き込まれ、 十数人が亡くなるという大惨事が起きました。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 私は今、ニュージーランドに来ています(11月12日時点)。お客様をお連れして、恒例の ニュージーランドツアーです。ツアーでは、成田を夕方の6時30分に出発し、オークランドに 現地時間で翌朝のだいたい9時過ぎに到着します(今回は搭乗便が少し遅れたので10時になりました)。
皆さん、こんにちは。昨年の話になりますが、毎日新聞に非常に面白い記事が載りました。 11月3日(日)の朝刊の一面『米軍、違反飛行横行』という記事です 「米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)所属の戦闘機部隊で、重大事故につながりかねない 規則違反が横行している実態が2日、第1海兵航空団(沖縄県)の調査報告書で判明した。
皆さん、明けましておめでとうございます。 いよいよ2020年が始まりましたが、今年はひょっとすると非常に忘れがたい年になるかもしれません。 日本にとっては、数十年にわたる壮大なトレンドのスタートの年になるかもしれないのです。
毎日新聞の報道カメラマンとしての数々の取材の中で、 一生忘れることが出来ないのは、皆さんもよくご存知のJAL御巣鷹山墜落事故です。
私が毎日新聞を辞める直前から1年前くらいのある時、 北海道の松前藩があった江差(えさし)の西に浮かぶ奥尻島が津波でやられました。 北海道南西沖地震(奥尻島地震)が発生し、震源に近い奥尻島は火災や津波で甚大な被害を受けたのです。
前回と前々回の2回のコラムで、急遽取材に向かった対馬の話をしました。 今回は、その前に述べていました毎日新聞での話に戻ります。 あと数回で一度この話は締めたいと思いますので、もうしばらくお付き合いください。
前回に続いて対馬の話をしたいと思います。それは、お土産屋さんでの出来事です。 私の父親は現在93歳で、 少し年下の母と茨城県で仲睦まじく暮らしています。 その2人に対馬の美味しい魚を送ろうと思ったのです。
皆さん、こんにちは。今回は緊急で、ある大切な話をしたい思います。 実は先日、長崎県の対馬に行ってきました。対馬は東西に80キロ以上ある島で、東西と言っても 斜めになっていますので南北と言った方がよいかもしれませんが、すごく大きな島なのです。
前回は、私が文筆業と会社経営を生業としていること、そして恩人に支えられながらも うまく両立しているお話をしました。 今回は、実は私が会社経営をしているのは必然だった!? という話をしてみたいと思います。
前回は、私がソロモン・ブラザーズの仕組んだ株の暴落の大特ダネをつかんだ話から始まり、 やがて経済トレンドの本を書くようになったということをお伝えしました。 実は、私は小学校と中学校時代は作文が苦手で、文章には全く自信がありませんでした。
私は、中村信一郎氏が声をかけてくれたその日から、日本経済新聞、日経金融新聞 (現在の日経ヴェリタス)をくまなく読み、そして毎日新聞社の調査部にも毎日入り浸りでした。 書店にも行き、金に糸目をつけずに関係のありそうな本は全部買いました。
前回は、“浅井隆”というペンネームをつけてくれた、集英社の中村信一郎氏の話まで述べました。 前回も述べましたように、日本の運命が変わった1990年2月の株の暴落から2~3週間後、 私が当時勤めていた毎日新聞写真部の24時間勤務の時に 中村信一郎氏が電話をしてきたのでした。
『破滅へのウォー・ゲーム』を出版することになり、私としては初めて長い文章を書くことになりました。 もちろん、新聞社にいた時にキャプション(新聞の写真についている説明)を付けたことはありますが、 せいぜい2行程度の短い文章です。
前回から続いてアメリカの戦略空軍の話です。 「エルズワース空軍基地」には、まず広大な普通の基地があり、その中にまたさらに特殊な極秘基地があります。 一般の兵士は入れず、外側も高いフェンスで囲われていまして、その上にはものすごい鉄条網が敷かれています。
前回は私が「NORAD」の他、アメリカの最高機密である「地下司令部」や 「空飛ぶ核戦争司令部」などを取材し、最後に『破滅へのウォー・ゲーム』(KKダイナミックセラーズ刊) という本を出版できたということをお話ししました。
緊張と興奮のNORAD取材を終えた私は、日本に帰ってきて早速写真を現像し、 結構きれいに写っていたことに安堵し、そしてやっぱりすごいものを取材してきたという事を あらためて実感しました。
さあ、いよいよNORADの「最高司令部」に入りました。そこは2階建てになっていて、 ドアを入ってすぐ左側に「バトルバルコニー」(戦闘バルコニー)があります。
ここに1枚の図があります。 これは何かと言いますと、世界各国の「家計債務」、つまり個人が背負っている借金を表わしたものです。
今日は3月23日です。 会社の近くに皇居がありますが、お堀の桜も美しく咲いており、 東京では今が3分咲き、4分咲きというところです。
前回の続きです。今からもう80年以上前になりますが、 大恐慌に入る直前の1920年代は「怒涛の20年代」と言われています。
実は、私は昔から「イエス・キリスト」に大変興味があります。 それは、学生時代に早稲田大学の政治経済学部・政治学科で 政治思想を学んだことがきっかけになっています。
前回より「日本という国をどうしたら良いか?」という話をしていますが、 私はこの国を根本から建て直さなければならないと思っています。
私は今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」という本を読んでいます。 皆さんも読まれたことがあるかもしれませんが、 実はこの本を読むのは、もう4回目くらいになります。
前回、温泉で出版部のスタッフと合宿をした話をしましたが、私の主たる仕事は社長業と本を書くことです。 講演会も行なっていますが、基本的には会社経営が仕事の中心となっています。
先日、山形のとある温泉旅館に行ってきました。 準高級旅館で、食事がとても美味しくて設備も整えられており、心地良く過ごすことができる旅館です。
前にもお話しした通り、私はCheFuKoという団体の最高顧問をさせていただいております。 CheFuKoのスタッフは、福島には毎月訪問しており、様々なボランティア活動を行なっています。
先日、大変珍しい人が私のオフィスに来られました。 ラメス・タパリヤさんというネパール人の方です。
前回のコラムで、次回お話すると言った話ですが、私がお会いしたその方は オフレコに近い情報もかなりたくさん話して下さいました。ですから、実名は明かしません。
何度かこのコラムにも書いてきましたが、私は2017年12月9日で63歳になりました。 子供の頃は誕生日というと、ケーキも食べられるし楽しくて嬉しいものでしたが、 60歳を過ぎるとぜんぜん嬉しくないですね。
皆さん、新年あけましておめでとうございます。 私は出張で海外に出かけることが多いのですが、年末年始と夏のお盆、 つまりお正月と広島・長崎の原爆記念日、 終戦記念日がある時期だけは絶対、日本にいようと思っています。
今年も早いもので、もうクリスマスの時期がやってきました。 本当に世の中の変化が速いことに驚かされます。
健康についての第2回目です。私は健康維持のために、前回ご紹介した 「レスベラトロール」と「水」に加えて 「温熱療法」を行なっています。
前回まで日本の財政について話をしてきましたが、実は自分の財産を守る、 あるいは家族を守るという中で一番大事なことは、まず「健康でいること」ですね。
このコラムも、はや40回目となりました。 前回、前々回と「賢者の道」「国家破産対策」について 話してきましたが、 ほとんどの人は日本経済、あるいは日本という国が大きな危機の直前にいるとは思っていないと思います。
前回も述べましたが、先日の衆議院選挙で、安倍さんは消費税を増税しても そのうちの半分は他の物に使い国の借金返済に充てる分を減らすと言いました。
時間差があるかもしれませんのでお伝えしますが、このコラムを書いているのは、衆議院選挙公示直前の10月5日です。今、日本では2つの大きな話題があります。
戦争もありうると思う2つ目の理由は、北朝鮮が今回の核実験で核兵器を小型化してミサイルに積むことが、 ほぼ可能になったのではないかという専門家の見立てがあることです。
今回は、皆さんが今一番関心をお持ちであろう北朝鮮の問題についてお話をします。 私は先日、スイスに行ってきました。
今回はボランティアの話をしましょう。 以前、「CheFuKo(チェフコ)」の紹介をしたと 思いますが(第22回コラム参照)、CheFuKoは一般社団法人のボランティア団体です。
実は、アイスランドには温泉がたくさんわいていて、ケフラヴィーク国際空港から 車で約20分の距離のところに「ブルーラグーン─青い潟湖」という場所があります。
アイスランドをヘリコプターで取材して回ったのですが、 本当に何もない国で、ホテルでも驚くべき出来事がありました。
今回の旅でヨーロッパを37日間回ってきたのですが、 最後はなんと北極圏の「アイスランド」まで行ってきました。
いよいよツアーも終盤を迎えていますが、ここで歴史にポーランドの名を残すことにもなった、 ナチスドイツが攻めてきた時の「ユダヤ人虐殺」という重大な話に触れておきます。
今回でポーランドからのレポートも3回目になります。 今、ワルシャワから特急列車に乗っています。
ポーランドに来て数日が経ちますが、まだ時差が残っているので ポーランド時間の朝3時~4時に目が覚めてしまいます。 それもあって、早朝5時くらいから毎朝散歩をしています。
今、ヨーロッパのちょうど真ん中辺りにある「ポーランド」という国に来ています。 以前から私は、ポーランドにどうしても来てみたかったのです。
翌日は、函館の近くにある大沼公園に行きました。 大沼公園は駒ヶ岳が火山噴火し、 その時せき止められてできた綺麗な沼です。
毎年6月の上旬に、恒例の札幌講演会があります。 私は毎年、会員様向けに東京、大阪、名古屋、広島、福岡、札幌と 全国を回って講演をしているのですが、 実はその中で北海道が一番楽しみなのです。
緑あざやかなよい季節ですね。 私は5月末に静養を兼ねて伊豆の温泉に行ってきました。 その時につくづく大自然がいかに私たち人間にとって重要かを思いました。 旅館の窓から見える新緑に、心も身体も癒されたわけです。 緑色は人間にとって一番疲れない、良い色だそうです。
ゴールデンウイークの最中に、静岡市に行って参りました。 静岡市は、講演会をはじめ出張などで東京から大阪へ行ったり名古屋へ行ったり広島へ行ったりする時に、 東海道新幹線でいつも通過はしているのです。 しかし、いつも通過するだけで、20年ほど前に1度、講演会で行ったきりでした。 静岡市自体を観光したことが、一切なかったのです。
田原坂に行った翌日、せっかく熊本まで来たということで、 以前私の会社の出版部に在籍していた宮崎君というスタッフの家を訪ねました。 というのも、宮崎君は第二海援隊を退職後、実家のある熊本に帰ったのですが、 実は熊本地震で甚大な被害を受けた益城町に住んでいて、 彼自身も住んでいた家の母屋が全壊するという被害に遭っていたのです。
先日、念願だった九州の田原坂に行って来ました。 田原坂と書いて「たばるざか」と読むのですけれども、 ご存知の通り近代日本における唯一の内戦、西南戦争の激戦地となったところです。 戊辰戦争はむしろ革命戦争ですから、 本当の意味で内戦といえるのは西南戦争しかありません。
先日、シンガポール経由でニュージーランドに行ってきました。今年になって2度目です。 ニュージーランドはこの写真を見て頂きますとわかる通り、伊勢エビのような“スキャンピー”という手長エビも捕れて、非常に食材が豊かなところです。 ここに出ているのはシーフードですけれど、食糧自給率がなんと300%と言われています。 日本の食糧自給率は現在、40%と言われています。
皆さんこんにちは、浅井隆です。 いよいよ、桜が咲く季節になりました。 今年は桜の開花も遅れ、東京では4月2日に満開宣言は出たのですが、 実際には皇居とか、目黒川もそうらしいですが 4月6日現在、まだ満開になっていないようです。 昨日、東京の神楽坂で毎年恒例の、私の知り合いを集めての観桜会を開きました。
私は今、ニュージーランドに来ています。 いつ来ても素晴らしい国ですね。 最近、世界中の大富豪たち、 たとえばアメリカのIT企業で儲かって5000億円や1兆円持っているような人たちが ニュージーランドに目を付けていて、極秘に1000ヘクタールもの土地を購入しています。
前回は「クォンタム・ファンド」が2000倍になったというお話をしました。 ジム・ロジャーズという方はちょっと変わっていて、バイクと車を使って世界を自分の目で見て回ったそうです。 そしてその当時、まだ中国が現在のように経済大国になる前に「中国は大発展する」ということを見抜いて、集中投資をしていきました。
11月に続いて、再びニュージーランドに来ています。 今回は2月3日に日本を発ち、 翌日ジム・ロジャーズの 4時間にわたる独占インタビューを行なうためにシンガポールへ立ち寄りました。 ニュージーランドの事もお伝えしたいのですが、 それは次回以降に回しまして今回はジム・ロジャーズの独占インタビューについてお話したいと思います。
今、このコラムを執筆しているのが1月末で、 ちょうど一年の中で一番寒い時ですが、 今日はもっと寒い話、身が震える話をしたいと思います。 昔から四谷怪談、サスペンス、ヒッチコックなど怖い話はいろいろあります。 怖くてあやしい話となると、ユダヤ陰謀論や都市伝説というものもあります。 今からお話ししますのはそういう話ではなく、 科学的な裏付けのある話でこれほど恐ろしい話はないと思われる話です。
私事で恐縮ですが、先日風邪をひき、2日ほど会社を休んでしまいました。 これには社員も、当家のお手伝いさんもびっくりしていました。 といいますのも、38度2分まで熱が出たのですが、 これだけの熱を出し休んだのは実に5、6年ぶりでしたので、 皆、私が風邪をひくということを考えてもみなかったのでしょう。
皆さん、こんにちは。浅井隆です。 今回は、今年最初の経済予測をしたいと思います。 まさかのトランプ当選確定後、全世界の市場でいろいろなことが起こりました。 日本とアメリカの株高、米ドル高による円安、金利上昇、つまり債券相場の下落。なかでも金利上昇は今、大変な事態を日本国内で引き起こしています。
明けましておめでとうございます。 『一年の計は元旦にあり』 2017年のスタートにあたりまして、 今年の日本経済がどうなるかという予測の話は 次回にとっておくとして、 まずは皆さんの参考になるような私の“永遠のテーマ”の話をしたいと思います。
クリスマスの時期なので、クリスマスにちなんだ話をします。 クリスマスと言えばサンタクロース。 サンタクロースのソリを引っ張る動物と言えばトナカイですよね。 私が以前毎日新聞で働いていた時、 ちょうど日本のバブルが膨張し始めた1985年でしたが、 その当時訪れたフィンランドで、 トナカイを食べたことがあるのです。
今、ニュージーランドに来ています。 私のファンの方々と一緒に10日間、南島、北島を旅行し、 そして最終日の素晴らしいパーティも終わり、 皆様を送り出した後、 私はニュージーランドに残り取材を続けています。
前回お伝えした「ガラガラポン」。 これは清算、崩壊、ご破算という意味です。 今までのシステム、 やり方を全部なくし、 ゼロから作り上げる。 これが明治維新、 敗戦後の日本でした。 それを再びせざるを得ない時期に来ているのです。
今日は8回目のコラムですが、 このコラムを収録する直前にアメリカ合衆国の大統領選があり、 トランプがついに大統領になってしまいました。 これは、私が人生で一番びっくりしたことの1つです。
前回、日本国の体質、衆愚政治、バラマキの話をしました。 高度成長期に作ったいろいろな物 (高速道路、橋、トンネル、空港、ダム、堤防もそうですね)、 このようなインフラ、国家を支える国の根幹部分ですが、 それらが軒並み老朽化してきています。
4回目、5回目のコラムでは財政学者の小黒先生の話を引用させていただきました。 日本を代表する財政学者が、 この国は今のままだと破産すると断言しているわけです。 これは、やはり大変なことです。
皆さんこんにちは。浅井隆です。 前回の小黒一正先生のお話を受けて、 さらに重大な話をしていきたいと思います。 今後、日本はインフレになり、資産税をかけ、 さらに徳政令を行う。 これは一体どういうことか、 というところまでお話ししました。
皆さん、こんにちは。浅井隆です。 前回予告した通り、今回は法政大学の教授で 財政学者である 小黒一正先生に インタビューした衝撃の内容を お話ししたいと思います。
皆さん、こんにちは、浅井隆です。 やっと、海外から戻って参りました。 東京はずっとひどい天気ですね。 すっきり晴れない、ずっと雨ばかり降っている。 日照時間もあまりなく、 異常気象ですね。
前回はイギリスよりお伝えしました。今日は、これから スイスとフランスへ行こうとしています。 今回は スイスとフランスよりはるか東、ヨーロッパの文明の起源、ギリシャのお話をしたいと 思っております。
皆さん、こんにちは。浅井 隆です。 現在、イギリスのロンドン郊外に来ています。 ご挨拶後、第一回目がイギリスという事も何かの偶然か、 不思議な感じがします。
皆さん、こんにちは。浅井 隆です。 このサイトを見て下さっている方の多くはご存じのように、 私ども第二海援隊は出版社であり 、またグループ子会社で 投資家(富裕層から一般庶民まで)向けに海外ファンドを中心とする投資助言業務を行っています。