天国と地獄
 

2023年12月4日更新

第233回「成功の秘訣」――耐える力③

今回は、特に人間力の大きな部分である「耐える力」についてお話します。

私は、日本がいま大変な分岐点に来ていると思っています。
バブル崩壊から30年が経ち、経済力は次々と他国に追い抜かれ、
円は弱くなり、日本という国の優位性がどんどん失われてきました。
こうした中で、私は時々、太平洋戦争のことを考えます。

実は、太平洋戦争突入前の日本も、恐慌や大地震に相次いで見舞われ、
国力が低下していました。そこからなんとか持ち直そうともがいたわけですが、
結局はどん底に沈んでしまいました。
かつての日本が犯した最大の失敗は、アメリカと戦争をしたことです。
そして、最後には「無条件降伏」というひどい負け方をしてしまいました。

毎年、終戦記念日の前後にはテレビや新聞などで戦争関連の特集が組まれますが、
先日テレビ番組の中で本当にひどい話を聞きました。
それは、普通の兵隊(戦闘機に乗ったりする)ではなく、
民間から徴用されて橋を架けたり備品を補給するなどの役務を行なう、
いわゆる「軍属」と呼ばれる人たちの話です。

彼らも従軍して南方の島の最前線にいたのですが、戦況がいよいよ危なくなり、
少しずつ日本側に近い島に戻ることになった時、とんでもないことが起きたのです。
命令に従って普通の兵隊たちは引き揚げることになったのですが、
なんと現地の陸軍のトップが軍属のことを、
「そいつらは邪魔だ」と言い、「あっちの島へ行け」と指示を出して置き去りにしてしまったのです。

つまり、連れて帰るのも邪魔なので現地で勝手に死んでもらおう、としたのです。
そして軍属を連れて行った参謀も、最後には船で逃げてしまったのです。
信じられない話ですが、これは実話です。
そして置き去りにされた軍属の人々は、米軍に殺されたり、
逃げてジャングルに入り飢え死にしたりと、ほとんどの人が死んでしまったのです。

辛うじて数名が生き残り、事実を証言したおかげで
私たちはこうした凄惨な話を知ることができたのですが、実に酷すぎます。
太平洋戦争時の日本軍は、そういうことを他にも数多くやっていたのです。
かつて精強で恐れられたロシア軍でさえ、
このような人を道具以下に扱うような真似はしませんでした。
しかし、これが日本の軍官僚の本質でした。

そして残念ながら、形は変われど今の日本でも同じことが行なわれています。
政治家もたいがいですが、官僚も自分たちの利権を守るために規制することばかり考え、
国を富ませるための民間活力を押さえつけています。
こういうことを変えていかなければ、日本は経済の競争に負け、
莫大な政府債務と相まって、再び敗戦時の様などん底に落ちることでしょう。

ただ、太平洋戦争の激戦では、ごくまれに素晴らしい現場指揮官もいたようです。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として有名な水木しげるさんは、南方の島で辛い経験をしました。
しかし、現場指揮官に恵まれたことも幸いし、なんとか生きて帰ってくることができたのです。

水木さんが所属する部隊も、米軍の猛襲によって島の奥地へとどんどん追いやられ、
いよいよ敵が目前まで迫ってきました。
通常、こうした状況になると、兵士は参謀本部から
「捕虜にだけは絶対になるな、玉砕しろ」と言われていました。
しかし、その部隊の司令官は違ったのです。
「そんなことをしてはいけない、なるべく生き残れ!」
「ジャングルの奥地に入ってでも、果物や何でも食べて生き残れ!」と言ったそうです。
結局、その司令官自身は死んでしまったそうですが、
彼のおかげで結構な人間が生き残ることができたのです。

一方、本土の参謀本部では、水木さんの部隊は命令に従って全員玉砕したと思っていました。
新聞にも、玉砕したと発表したわけです。
ところが、後になって彼らが生き残っていることがわかってしまいます。
それを聞いた陸軍参謀本部は、あろうことか「お前らが生き残っていたら困る!」と言ったのです。
まったく信じられない話です。
これがアメリカや他の国だったら、「よく生き残った!」「良かった!」と喜ばれるところです。

参謀本部は、早速その部隊に参謀を送り込みました。
そして、「アメリカ軍があのあたりにいるから、夜に突撃して全員死ね」と命令を下したのです。
これまたあり得ない話ですが、ただ当時はそうした軍教育が一般的でしたので、
彼らも仕方ないと納得しました。

しかし、この命令をしにやってきた参謀も一緒に死ぬのかと思いきや、
「私は報告しなければならないので帰る」と言い、本当に帰ってしまったのです。
これは、水木しげるさんが体験した本当のこと、事実なのです。
結局、せっかく生き残った兵士たちも、最後はみんなで歌を歌いながら、
泣きながら突撃していったのです。
そして、兵士のほとんどが死んでしまったのですが、水木さんは爆弾で吹き飛ばされ
片腕を失い意識を失っていたところをアメリカ兵に助けられたのです。

組織というものは、最後は一番下の人間を守らないといけません。
しかし、日本軍は肝心の上層部が自分のことしか考えず、
一番下の人間を道具か、それ以下のものとして使い捨てにしました。
軍属を置き去りにした話もしかり、水木さんの経験もしかりです。

さらに酷いのは、「インパール作戦」でした。
この作戦で日本軍はミャンマーからインドへ行軍したのですが、
日本軍は信じられないことに補給を無視し、
「食糧は現地調達」などと言う、およそ作戦とは呼べない指令を出しました。
これは、作戦を立案・指揮した軍上層部の
出世欲や保身、メンツ、組織の論理などが絡んだ結果です。

一方のイギリス軍は、綿密に作戦を組んでこれを向かい打ち、
日本軍はいとも簡単に撃退されてしまいます。
そして、生き残りの兵士たちは帰ってくる時には食糧も無く、
なんと死んだ兵隊を食べていたのです。
そして、そのほとんどが餓死しました。ほぼ全滅です。
組織の上層部がおかしいと、そういうことになるのです。

私は、その日本軍の体質というものが現在の日本の官僚の中にいまも残っていると思うのです。
本当は、私たち日本人は過去に日本がやったことを反省するべきですし、
若い人たちも過去のそうした過ちを知り、同じ失敗を繰り返さないようにする必要があります。
しかし、ほとんどの人はそうしたことをまったく知らないし、研究もしていません。
若者が過去の出来事を自発的に知ることはそうありませんから、
本来なら年長者は若者たちに教えるべきなのです。
その点で、私は日本の教育は間違っていると思っています。

現在のように、歴史を縄文時代から教えるのではなく、
まず明治維新から教えたほうが良いと思うのです。
幕末から教えて、何がどう起きて現代まで来たかを知ってから、縄文時代に戻れば良いのです。
縄文時代も大事ですが、我々にとってより大事なのは、
いま現在の世の中を形づくった近代・現代の歴史です。
日本人が最近何をやってきたのか、それがいまの世の中とどうつながっているのか、
これをまず知らなければならないのです。

私は、現代の日本人がまず心の拠り所とすべきは、幕末の時代だと考えます。
志士たちが命懸けで取り組んだ「国づくり」こそ、今の日本を形作った源流であり、
私たちが思いを致すべきことです。
私は、幕末の志士たちの中でも特に坂本龍馬に西郷隆盛、大村益次郎、桂小五郎、
久坂玄瑞、吉田松陰、彼らのことを毎日思っています。
彼らは、日本という国を守り、また新たな国の形を作るために、
列強の襲来による困難な状況を必死に耐え続け、命がけで考え、行動しました。
彼らのことを思うと、どんなに辛くても頑張ろうと思えます。
また、戦争中に困難な境遇にあった人々のことも思い返します。
南方の島などで、米軍が戦艦や戦闘機で攻めてくる中、食糧も無い、銃の玉も無いような
酷い状況を耐え忍び、国のためを思い戦って死んでいった人たちに比べたら、
今の私たちの生活というのは実に楽なものです。

私たちの現在の世の中は、そういう人たちの命がけの行動や犠牲の上に
成り立っているということを、きちんと理解しないといけません。
そして、日本人は現状を忍耐強く受け入れ、もっと頑張るべきです。
私は、今や日本は大改革が必要だと思っています。
もっと素晴らしい国になるために、日本人はもう一度奮起しなければならないのです。
やはり民間が自由に羽ばたいて行く、そういう国家にならないとダメですね。
そのためには、国民一人ひとりが今少し、「耐える力」を発揮する必要があります。

次回は、「この国のかたち」についてお話したいと思います。

 

私はいつも、この国を私たちに残してくれた先人達のことを思って生きている。
彼らの命がけの努力があったからこそ、
いま私たちは平和な日本で暮らすことができている。
そのことは、海外に出るとよくわかる。
私たちはもっと耐え、未来のために頑張るべきなのである。
(2023年11月 ニュージーランド オークランドにて)