天国と地獄
 

2020年6月15日更新

第132回 私の人生で一番の「緊急事態」<その2>

 

前回に続いて、私が今までの人生で体験した一番の「緊急事態」について
述べて行きたいと思います。

ここから先は後でわかった話ですが、私が朝、ホテルで目覚めるまでにどんな事が起きていたのか――。
まず、夜の11時くらいにテロリストたちが機関銃を持ってホテルを襲撃し始めました。
大きなホテルですから入口は厚いガラス張りなのですが、
それを機関銃でバリバリバリと全部ぶち破ってありました。
そしてフロントに飛び込み、通報されないようにフロントの人間に銃を突きつけ、
「警察には一切、電話するな!」と脅したのです。
その後、「人質にしたいから、各部屋に電話しろ」と指示したそうです。

たまたま一緒に行っていたお客様の一人(滋賀県の造り酒屋の若旦那)の部屋に
フロントから電話がかかってきて「緊急事態だ、フロントに来い」と言われ、
フロントが3階か4階だったのですが、その階に降りたら向こうの方に
銃を持っている人がいたというのです。
「警備員かな」と思い、「こっちへ来い」と手招きされたので行ったら、
そこでチェチェンのテロリストに捕まってしまったのです。
そして、宴会場のような所に数十人が集められたのです。

スタッフのIはどうしたかというと、同じように「緊急事態なので、フロントまで来い」と電話があり、
彼はひょっとしたら会社から緊急のFAXか何かが届いたのかなと思い、
パジャマに何か羽織って何も持たずにエレベーターに乗ったのです。
すると、エレベーターに付いている通信機器から
「フロントで降りるな。一番下まで来い」と言われたのだそうです。
彼は、事態がわかっていなかったので、
「フロントに来いって言われたのに、何なんだよ」と思っているうちに、
エレベーターは一番下まで降りてしまいました。

なぜそうなったかというと、この時、すでにトルコ軍が下でエレベーターをコントロールしていたのです。
ドアが開いた瞬間は、まさに映画の世界が目の前に展開していました。
銃口が10個くらい、彼の方に向かっていたそうです。
しかも、彼は顔が東洋人離れしていたのでチェチェングループの一員だと思われ、ボコボコにされたのです。
懸命につたない英語で「俺は日本人だ! 日本人だ!」と騒いだらやっと解放されました。
大きな兵士2人に抱きかかえられている様子が、NHKで放映されていたそうです。

その後、Iは近くのヒルトンホテルに移送され、そこから本社に電話をして
「社長含め、お客様の安否がわからない。死んでしまったかもしれない」と伝えたのだそうです。
これが、先ほどの「Iが別のホテルに逃げた!」という話の顛末です。
そんな中、私は何も知らず朝までぐすっり寝ていて、起きてすぐ会社へ電話をしたものですから、
社員のSさんやOさんは前述したような対応だったわけです。

結局、事件は午後1時くらいに解決したので、
私が部屋に立て籠っていたのは5~6時間だったのですが、とても長く感じました。
もう大丈夫だろうと下に降りると、入口のガラスが粉々になるほど破壊されていました。
フロントの階にはレストランもあるのですが、ホテル側が
「いやいや、申し訳ありませんでした。ランチをお出ししますから召し上がって下さい」と
バイキング形式のランチを提供してくれました。

そのレストランの会場に行って、私は再び驚いたことがあります。
たまたまそこに日本人がいて、「この人たちは宿泊者ではないな」と思い声を掛けたところ、
日本大使館の人だったのです。
「私もこのホテルに泊まり、立て籠っていました」と伝えると、
その日本大使館の人は「あ、そうですか」の一言でおしまいなのです。
本来なら、たとえばこれがアメリカ大使館員だったら、
ホテルに宿泊していた全てのアメリカ人を部屋まで行って確認し、死んだ人がいないか、
怪我をした人はいないかチェックするのではないでしょうか。
しかし、彼らはそこでタダ飯を食べていただけで、そんなことには全く興味がないようでした。
税金を払っているのに本当にひどい対応だなと、今でも思っています。

このような話はあまりしたくはないのですが、以前、週刊誌にこのような話が載っていました。
9.11アメリカ同時多発テロの時、NY中パニックで大騒ぎになっていました。
どうしていいかわからない日本人旅行者やNY在住の日本人たちは、
日本の領事館(大使館はワシントン、領事館はNYにあります)に行き、
「何とかしてくれ」「どうなっているのですか」と助けを乞いました。
この時、日本人の領事館員が何と言ったと思いますか?
「お前らの来る場所じゃない! 帰れ!」。本当にそう言われたそうなのです。
そこにいた人は、二度と日本に税金を払いたくないと言っていました。
「お前らは何なんだ。何のために、誰のために働いているんだ」と。
一番困った時に何もしてくれない。私もこれはまずいと思います。変えないといけないことです。

トルコでのテロの話に戻りますが、チェチェンのテロリストに捕まった会員様に、
当社のツアーで事件に巻き込んでしまったので「申し訳なかったです」と言うと、
その方は全く怒っておらず、逆にこう言われました。
「いやいや、すごい経験ができました。なにしろ、アイツらはすごかった」と。
チェチェンのテロリストの姿に感動したというのです。つまり、
「自分の国のために命懸けで戦う若者がいる、日本にはおそらくいないのではないだろうか」
ということをおっしゃっていました。
確かに平和ボケした戦後の日本人、そして先ほどの日本大使館員などより
はるかに志ある若者だと思いました。
まあ、それも全て無事だったから言えることですけどね。

その後、ホテルの外に出ると、外で張っていたのでしょうか、NHKが取材に来ていました。
他の日本人はインタビューを嫌がっていましたが、
私はかつてマスコミにいましたので自分がそういう取材には少しでも協力したいと思い、
「いいですよ」と快く受けました。20~30秒でしたがNHKのニュースで放映されたようです。
帰国後、何人かの人に声をかけられました。

テロリストの襲撃に遭うのが、あと1年遅かったら私は死んでいたかもしれません。
というのも、その後チェチェンのテロリスト達は、その時とは比べものにならないくらい凶悪化、
狂暴化して行ったからです。

この経験からも色々なことがわかりました。
“ふと”思ったことや“たまたま”決めたことからも、何かが起こります。
運が良い人間と悪い人間がいます。私は、たまたま運が良かったのだと思います。
だから、したいと思っても到底体験できない貴重な体験はさせてもらえて、
かすり傷一つ負うことはなかったのです。
それどころか、このような事件に遭遇したことで、どんな時も慌てず、
どうやって生き残ることができるかを考えるという、
危機管理力を磨く貴重なトレーニングにもなりました。

世の中には、あって欲しくない事態、
信じがたい事態が起きることはあるものです(現在も緊急事態下にありますが)。
それらに臨機応変に対処して生き残って行くための一つの参考になればということで、
海外のホテルでテロリストの襲撃に遭った話を書いてみました。

このコラムを書いた時は、まだ東京は緊急事態宣言中だったが、
数日後解除され、行きつけの喫茶店でおいしいコーヒーを味わった。
平和であること、いつもと変わらない状況下であることにあらためて幸せを感じた。
今後、コロナショックの影響が経済にも出てくると思われるが、
皆様の日常が守られることを祈っている。
           (2020年5月 東京・神保町にて)