天国と地獄
 

2022年10月31日更新

第207回「日本の危機」について<その1> 

新シリーズの第2回目です。
今回は、この新シリーズのテーマのひとつでもある
「日本の危機」についてお話ししていきたいと思います。
なお、前回のコラムでは、今後月1回程度のペースで更新するとお伝えしましたが、
最低でも月1回、可能であれば不定期で複数回更新して行きたいと思います。

さて、ついに日本の国力を表す指標であるドル円が150円台になり、
32年ぶりの円安水準へと一気に到達しました。
実は、この動きは単なる偶然ではなく、
「歴史的な流れ」や「日本が抱える大きな財政の問題」に原因があるのですが、
そのことについてこれから何回かに分けてみなさんにお伝えしていきます。
これからの日本の行く末を知るうえで非常に重要な事ですので、
よく頭に入れておいていただきたいと思います。

まず、「歴史的な流れ」として、日本をめぐる「80年周期」についてお話していきます。
図を見ていただくと一目瞭然なのですが、
ある意味では「40年周期」という言い方もできるかもしれません。
この周期は、近代からつまり幕末の1853年にペリーが日本に来て以降を表しています。
この年、黒船の来航に日本は大騒ぎとなり、
そして、それを契機に日本は激動の時代に突入していきます。

およそ260年もの間、鎖国を中心として安定した平和な時代を謳歌した江戸幕府が
海外からの圧倒的な軍事力にさらされ、
盤石と思われた体制が打ち破られかねなくなったのです。
手をこまぬいていれば、西欧列強に浸食され、
国を壟断されてしまう、という危機的な状況の中で、
幕末の志士たちが出てきて尊王攘夷を叫び、
長州藩などの一部は狂気に近い様相になりました。

そうした大混乱を経て、やがて明治維新が起きたのです。
ある意味、国家としてはどん底に近い状況だったわけです。
しかし、そこから日本の快進撃が始まります。
1865年をスタート地点として、幕末の大混乱から40年後の1905年には、
日本は南下政策をとって東南アジアや中国、韓国、
朝鮮半島および日本を狙っていたロシアと戦い、
完勝には程遠いものの、ぎりぎり勝ちに持ち込み、
そして講和にまで持ち込んだのです。
世界の歴史上、この数百年間で初めて、
アジアの国がヨーロッパの大国に勝つという奇跡を演じたわけです。

考えてみると、幕末の混乱の頃、日本の主要産業は米、絹、生糸、
そして陶磁器くらいしかありませんでした。
最新鋭の戦艦や大砲などの工業製品などは全く作れなかったのです。
対抗できる軍事力も国力もない、本当に脆弱な弱小国が、
世界一の陸軍大国ロシアに一応かたちの上ではありますが勝ったのです。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでもわかりますが、
あの明治維新から日露戦争勝利までの日本は、
まさに急激な坂道をその先の雲に向けて駆け登って行く、
発展上昇の時代であったわけです。
当時の人々は、この国と自分たちの未来に非常に希望を持っていたといいます。
しかし、残念なことに日露戦争勝利によって、
日本は少し思い違いをしてしまいました。
日本は、どんなことがあっても海外に、ヨーロッパに
勝てるのだと思い上ってしまったのです。

そしてその後の40年は、下降の40年となりました。
といいますか、下降などという生易しいものではなく、
最後は1945年の敗戦というどん底の結果を迎えます。
1905年の日露戦争勝利から、ちょうど40年のことです。
たった40年で日本の大都市は全部焼け野原となり、
広島と長崎には原爆まで落とされ、
硫黄島や沖縄では軍隊がほぼ全滅するという悲惨な結末となりました。

一応、「終戦」と言われていますが、実際には敗戦(無条件降伏)です。
大日本帝国、そして軍がなくなるという壊滅的な被害を受け、
さらに日本国は破産してしまいました。
40年の間に、日本はまさに奈落の底まで落ちて行ったのです。
<以下、次号に続く>

不思議に思われるかもしれないが、
「80年周期(40年周期)」で歴史的な出来事が動いている。
大きなトレンドには、いつの時代も逆らえないのかもしれない。
(2022年8月 鹿児島県・せごどんの湯にて)