天国と地獄
 

2023年7月5日更新

第224回 日本の危機について <その10>

戦後の日本人には、長らく「三種の神器」という夢がありました。
これは、日本神話に登場し現在も皇室が所有する三種類の宝物のことではありません。
若い人はご存じないと思いますが、日本では戦後の復興の過程において
「白黒テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」といった家電が、
皇室のそれに倣って「三種の神器」と呼ばれていたのです。
そして、この三種の神器を揃えることこそが、経済的なステータスであったのです。
三種の神器に加えて、「車」(マイ・カー)を持っている家庭は、
周囲から神のごとくあがめられたものです
(ちなみに私の実家は、一般的な家庭よりもだいぶ遅れて三種の神器が揃いました)。

当時の日本人は、アメリカ映画などに頻繁に登場する郊外の住宅で暮らす、
豊かなアメリカ人にあこがれを抱いていました。
私も含め、多くの人は「自分たちも、あのようになりたい!」と思っていました。
このような欲求を原動力として、日本は経済的に大成功を収めるに至りました。
戦後の日本は、安全保障のほとんどをアメリカに依存し、
自身は“エコノミック・アニマル”と化して、長期間に亘る高度経済成長を実現させたのです。
まさに、「アメリカに追いつき、追い越せ」ですね。

ところが1985年の逆オイル・ショック(原油の暴落)以降、成長が急激に鈍化してしまいました。
バブル時には経済規模で瞬間的にアメリカを凌いだこともありましたが、
バブル崩壊をきっかけに「失われた30年」とも言われる超長期停滞を経験しています。

この間、東アジアの地政学には大きな変化が起こりました。そう、中国の台頭です。
きっかけは、2001年に中国がWTO(世界貿易機関)に加盟したことにあります。
そこから中国の急速なキャッチ・アップ(追随)が起こり、
いつしか中国は日本に代わって「世界の工場」となりました。

しかし最近になるまで、アメリカはもとよりほとんどの国が
中国の危険性を理解していなかったのです。
「中国も豊かになれば、おのずと民主化に向かうだろう」くらいにしか思っていませんでした。
ところが経済的な力を身に付けるにつれて、中国は本性を現すようになります。
徐々に凶暴性を発揮し始めました。

そして、今となっては中国こそが世界最大の脅威だという認識を各国が共用するに至っています。
なかでも覇権国のアメリカが最も警戒しており、アメリカの安全保障戦略は中国を
「最大の戦略的な挑戦」と位置付け、将来的に起こり得る戦争への準備を急いでいるのです。

対する中国は、ひとまず東アジアから米国のプレゼンス(影響力)を
取り除きたいと考えていることでしょう。
現在の米中は、かつて英ソが演じた「グレート・ゲーム」
(地政学的な勢力の奪い合い)をアジアで展開しています。
その最前線は、言わずもがな台湾です。次に朝鮮半島が続きます。
台湾が中国に併合されれば、東アジアの軍事バランスは
大きく中国に傾くことが確実視されているので、
最悪の場合は、米軍がグアム以東まで後退を余儀なくされるかもしれません。

日本は、極めて難しい立ち位置にあります。
日本と中国は、世界でも屈指の経済パートナーとして成り立っていますが、
安全保障面では日本はアメリカと同盟関係にあり、地理的に中国と台湾に近い分、
率先して矢面に立たなくてはなりません(一部の人が主張する台湾有事の際に
日本が「我関せず」という態度は、絶対に認めてくれません)。

中国という国には、古くから「中華思想」というものがあります。
要は、「中国が世界の中心である」という考え方です。
その頂点に立つ中国の皇帝は、
周りの国々に対し「冊封(さくほう)」体制で統治してきました。
冊封とは、中国の皇帝がその一族、功臣もしくは周辺諸国の君主に、
王、侯などの爵位を与えて、これを藩国とすることです。
冊封の“冊”とは、その際に金印とともに与えられる冊命書、すなわち任命書のことであり、
“封”とは藩国とすること、すなわち封建するということです。
日本も3~6世紀にかけてこの体制に入っていました。
当時、遣唐使や遣隋使というものがありましたが、まさにあれこそが冊封(朝貢)です。

日本は、明王朝の時代にも冊封体制に入りますが、
時の室町幕府が衰退すると関係は廃れました。
清の時代にも冊封体制は強化されるのですが、
日本は福沢諭吉が言ったように「脱亜入欧」を志向し、
日清戦争を経て中国との関係は“逆転”して行きます。

これは余談ですが、お隣の韓国は日本と比べても中国に対する“属国意識”が強いと言えます。
というのも、朝鮮半島は 紀元前3世紀頃、前漢の初期に衛氏朝鮮が冊封されて以来、
1894年に日清戦争で日本が清を破り翌年の下関条約によって朝鮮を独立国と認めさせるまで、
ほぼ一貫して中国の冊封国だったのです。
たとえば、江戸幕府よりも長く続いた李王朝では、中国以上に中国的な儒教が浸透していました。
ですから、遠い昔から韓国は定期的に貢物を持っては中国に行き、
そこで皇帝に拝謁し「今年もよろしくお願いします」とやってきたのです。

その点、日本は違います。
日本には武士がいましたし、海という“要衝”もありましたので、
絶対的な冊封体制の影響下には置かれなかったのです。
これを言ったら韓国人は怒るかもしれませんが、
韓国人のDNAには中国への属国意識が刷り込まれているのかもしれません。

昨年4月に私がワシントンでインタビューしたランド研究所
(日本ではあまり知られていないのですが、『乱数表』を作ったのはこのランド研究所です)の
上級研究員Jeffrey Hornung(ジェフリー・ホーナン)氏は、3月17日付の日本経済新聞にて
「韓国にとって中国は敏感で厄介な存在といえる。
アメリカは中国を『脅威』、日本は『挑戦』と位置付ける。
韓国が公の場で同様の言葉を使う準備はできていない。
韓国政府の人たちは中国問題の議論をためらう。台湾についても語りたがらない。
経済的な結びつきの強さから、対中国を意識した安保協力は限定的になる。
少なくとも対北朝鮮ほど早くは進まないはずだ」と評しています。
まさにその通りだと思いますが、これは韓国が経済的に中国への依存度が高いからという理由だけでなく、
前述したような精神的なもの(属国意識)が影響を及ぼしているのだと思います。

 
日本を取り巻く情勢は、中国とアメリカの関係のみならず緊張感が増す一方である。
近隣諸国が日本の外敵となった場合、この国はどのようにして国民を守るつもりなのだろうか。
常に危機意識だけでも持っていたいものだ。
(2023年6月 東京・青山レナセルクリニックにて幹細胞点滴を受けるために来院)