天国と地獄
 

2025年9月5日更新

第264回  私が支援してきたネパールの子どもたち

ブータンの滞在を終え、国際線の都合でネパールに戻りました。
ブータンからネパールへの帰りの飛行機は、右側の座席を予約しました。
窓からヒマラヤ山脈が見えるのを見越してのことです。
実際、その景色は想像以上に素晴らしく、
エベレストをはじめとした、8000m級の山々をすべて見ることが出来ました。
「神々しい」という言葉が、これほど似つかわしい景色もそうそうないと思います。

まさに「神々しい」景色
そのヒマラヤをより堪能したいと思い、
ネパールではヘリコプターをチャーターして、ヒマラヤ上空に向かう予定にしていました。
しかしながら、今回はタイミングが悪く天候が不順で、かなり雲が垂れ込めていたため断念しました。
次の機会には、必ずや行こうと思っています。

ホテルに到着すると、街を歩いてみようと思いたちました。
そして外に出てみたのですが、その瞬間にあらためて街の混沌ぶりに驚きました。
ホテルまでの車から見ていてもすごかったのですが、実際に歩くとさらに身に染みてそれを実感できます。
なにしろ、車が2台やっと通れるくらいの狭い道に、車もバイクも人も殺到しているのです。
しかも、車やバイクはみんなクラクションを鳴らし放題、
もうもうとした排ガスに人いきれも重なって、もう、むちゃくちゃです。
気の弱い日本人は歩けないかもしれませんね。
街は全体的に埃っぽくて、どこか工事現場のような感じで、
プラスチックがいろいろなところに捨ててあり、清潔感もなければ環境への配慮もありません。
とにかく、「この街、なんかヤバい」という強烈な感想を抱きました。

その翌日、「世界の子どもたちのために(CheFuKo:チェフコ)」という団体が
支援している2つの養護施設に行きました。
チェフコは、私が立ち上げから運営を支援している団体で、
世界の恵まれない子どもたちの支援活動を主目的としており、
福島、ウクライナなどの施設への支援実績があります。
ネパールの養護施設にも支援を行なっており、今回はちょうどよい機会という事で訪問しました。
以前から支援しているので、大歓迎を受けた
一つ目の施設では、4歳から15歳の女の子を36人ほど養っていました。
ネパール大地震で両親が死んでしまったり、あるいは貧困などによって親が子を置いて逃げてしまったり、
様々な事情で身寄りがなくなった女の子たちが育てられています。
実際に行ってみてびっくりしたのが、施設の子たちがものすごく礼儀正しいことです。
しかも、みんな英語がペラペラです。
話を聞くと、所長のハリさんと奥様がそれこそ死にもの狂いで働き、
子どもたちにはしっかりとしたよい教育を施して、将来どこでも通用するようにしているとのこと。
私は、すっかり感心してしまいました。
左端のキャップをかぶった男性が所長のハリさん
ネパールでは、お坊さんが徳の高い偉い人とされます。
しかし、ハリさんはお坊さんではありませんが、お坊さん以上に徳の高い人だと思いました
(実際、お坊さんの中には高いお布施だけ取って、大したことをしない人も結構います)。
ネパールの人々は、生活水準も経済状況も私たち日本人から見れば相当に質素というか、
誤解を恐れずに言うなら貧しい状態にあります。
そんな中でも、こうした高い志を日々実践しているハリさんは、
もしかして“仏の生まれ変わり”ではないか、とすら感じました。
私は、チェフコを通じてこの施設をさらに支援しようという気持ちが大きく膨らみました。

 

 

女の子の施設では、
全員が英語を話せるよう、教育されていた

様々な理由で親と一緒に暮らせない子どもたちだが、
その表情は明るい

その後、男の子を預かっている別の施設にも行きましたが、
こちらも熱心に素晴らしい教育を施していました。
いずれの施設も、代表の方がすごく温和でよい顔をしており、
慈しみの心を持った人々であることがよくわかり、私は心の底からホッとしました。

ネパールの子どもたちは、
男女別の施設で育てられている


さて、今回の私の旅は、仏教の聖地を巡ることが主な目的でした。
しかし、仏教が生まれたインド、そして今回訪問したネパールは、
実は仏教よりヒンドゥー教が圧倒的なのです。
ネパールは少数派(12%程度と言われています)ながら仏教徒も見かけるのですが、
インドでは仏教徒はほとんどおらず、ヒンドゥー教でなければイスラム教、という具合です。
実際、現地の人々に接してみると、私たちがパッと連想する仏教徒らしい人はほとんどいませんでした。

ただ、インド人と話していて面白かったのは、ブッダも神様のひとり、と考えているという話です。
ヒンドゥー教は多神教で、ブラフマー(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、
シヴァ(破壊の神)の三大神のほか、様々な神様をあがめています。
ブッダも、彼らにとってはそうした神々の一柱ということのようなのです。

見るからにあやしげなインドの僧侶
何だかよくわからない話のようでもありますが、
思えば日本人も正月には神社にお参りに行き、お盆にはお墓参りに行き、
と色々な宗教をごった煮で受け入れています。
日本人の場合、それは「信仰している」というより、
そういう「イベントを受け入れる」ぐらいの感覚かもしれません。
ただ、実際には信仰とは別の次元で、日本人のメンタリティに大きな影響を及ぼしています。
いろいろな事情で幼くして仏門に入る子どもは多い
お坊さんはどの国でも地位は高い
たとえば、大自然がもたらす「猛威と恵み」、
そしてそれに対する「畏怖と敬意」というメンタリティは、神道にその源流があります。
また、「諸行無常」といった生死観、運命観も、仏教にその源流をたどることができます。
つまり、宗教として自覚的に信じてはいなくとも、
日本人の精神性には神道や仏教の教えが根差しているという事で、
それはインド人がブッダを含めて色々な神様を信じているのと、
ある意味では似たようなものかもしれません。