天国と地獄
 

2025年9月16日更新

第265回  修行の旅を終えて

前回に続き、インド、ネパール、ブータンを巡って感じた宗教観や人種について総括して行きます。

インド人たちにとっての日本人は、「インド人とはだいぶ違う人種」という印象のようです。
特に、モノの売り買いの場面でそれは顕著です。
インドでは、タフな値段交渉をするのが当たり前なのですが、
だいたいの日本人は言い値で応じますね(関西の方では、「値切りは文化!」という方もいるようですが)。
インド人にとっては、日本人は相当「やりやすい相手」、簡単に言えば“カモ”という事なのでしょう。

しかし、私は日本人ですが、海外でなにか物を買う時は必ず値段の交渉をします。
長年、色々な国に取材に行っては様々な人々と価格交渉をしてきましたので、
ときに相当タフな交渉もするわけです。
今回も、マンダラや仏像でいつも通り値段の交渉していたのですが、
商魂猛々しいインド人もびっくりしていました。
「こんな日本人、初めて見た」とまで言われました。

宇宙を表現していると言われる曼荼羅
実は私は、向こうがどんな交渉をしているか、あらかじめ大体わかっていました。
彼らは、トランプ関税の影響で足元の景気が怪しくなっていたため、
持っているモノは早く売ってしまいたいと考えていたのです。
しかし、たくましいインド人たちはそれをおくびにも出さず、
たとえば「100」の品物を「150」と少々吹っ掛けて売るのです。

もちろん、私はそんなことでひるみません。
「150」と言われたら「じゃあ、50で」と言うわけです。
物によっては、「これは、絶対引かないだろう」という場合は、80くらいにする場合もあります。
いずれにしても、「100」で売りたいインド人はたいてい、
「こんな値段じゃ売れない」と言いますね。
そうなったら、私は即座に「わかった。さよなら」と言って、とっととその場を離れます。

だいたいの場合、ここでおしまいにはなりません。
向こうが追いかけてきて、ヒンドゥー語で「ごめんなさい」と言ってきます。
そこで渋々、「オーケー、オーケー」と返し、また値段の交渉を続けます。
漫才の掛け合いさながらに、お決まりの型が繰り広げられるわけですが、
そこがもう、面白いところですね。交渉してなんぼの世界です。

たいていの日本人は、奥ゆかしいというか、大人しいというか、
「外国人相手に値切るなんて」とおじけ付いてしまいます。
しかし、海外の多くでは交渉することが常識です。
イスラム圏などでは、交渉しないと逆に向こうが怒ってくるらしいですね。
彼らにとって、価格交渉は挨拶の一種であり、そういった文化なのだそうです。
そうした交流を通じて、相手の文化を知るというのも旅の貴重な経験でしょう。

今回、インド、ネパール、ブータンと3つの国を巡ってみて、
それぞれの国民の感覚に差があることも面白い発見でした。
特に、お金に対する執着やどの程度重要と考えるかという部分には、ハッキリした差がありました。
日本人のお金への執着を100とすると、感覚的にはインドが70、ネパールは60、
ブータンは30といった感じでしょうか。
インド人は、経済発展や近代化によってもう少しお金に対する執着があるのかと思いましたが、
そこまででもありませんでした。
ネパールはさらに執着は薄く、ブータンに至ってはお金に対する重要性の考え方が、
日本人とはかなり違う印象でした。

そうしたことが影響しているのかわかりませんが、
ブータン以外は貧富の差がとにかく激しいのが印象的でした。
おそらく、お金の重要性をよくよく理解し、良い意味で執着している人達は富み、
そうでない大多数は貧しい生活を黙って受け入れている、という事かもしれません。
国家レベルでも、そういう実情が容認されているというか、それが自然だと考えているのでしょう。

きらびやかな装飾のブータンの高級土産物店
ブータンの人々の信仰心は厚い
たとえば、道端にホームレスがいたなら、
日本なら行政やボランティアが救済しようとしますが、かの地では放置されます。
寝ているか死んでいるかわからない人が道端にいても、誰も気にもかけません。
もちろん、寝ている本人もお構いなしで、車が通ろうが何しようが寝ています。
仕方がないので、車が寝ている人をよけるという具合です。
まあ、実におおらかというか適当というか、なんでもありなんだなぁという感じです。

一事が万事、かの国では国家が貧民を救済する、という発想がありません(皆無ではないと思いますが)。
日本のように、なんでも「国が救済しろ!」などというのは、
おそらく彼らにとっては常識外の考え方なのです。
世界にはそういう社会もあるのだと、妙に達観した心持ちになりました。

はたして、私の精神修行がうまくいったのかどうかはわかりませんが、
得るものの多い、非常に面白い旅でした。
思いたってインドからネパール、ブータン、
そしてタイを巡ってみたが、
どこへ行っても“気付き”を与えられた。
その意味では、私の“修行の旅”は大成功だったと言えるだろう。
(2025年4月 インドにて)