天国と地獄
 

2024年1月5日更新

第235回 この国のかたち<その1>

昨年の年末はニュージーランドのお話をしましたが、
今回は「この国のかたち」について考えてみたいと思います。

おそらく、皆さんがこのコラムをご覧いただくのは2024年の1月初旬でしょうから、
1年後には2025年を迎えることになります。
私は「2025年」という年が、非常に重要な転換点になると考えています。

以前にもお伝えしたと思いますが、日本の歴史には「40年パターン」と呼ばれる
興味深くも重要なパターン性が存在しています。
40年のサイクルで、急激な発展、象徴的な出来事、どん底への凋落、
再出発というパターンが繰り返されているのです。

詳しく見て行きましょう。
明治維新は1868年に起きましたが、その直前の1865年頃が大混乱の時期でした。
長州藩が「蛤御門の変」で京都から追い出され、幕府が長州征伐を試みた頃、
日本は大きな変革の渦中にありました。
明治維新を経て、10年間にわたる混乱の中、武士階級は廃止され、
「徳政令」が実施されました。いわゆる「ガラガラポン」です。
10年後には西南戦争が勃発し、ようやく事態が収束します。

その後、日本は国力を高めて行き、
1905年には、世界一の陸軍大国と言われたロシアに勝利するまでになりました。
しかし、この時がピークでした。
ここで日本は、大きな勘違いをしてしまいます。
「何があっても勝つ!」という信念が生まれ、
その過信がその後の40年にわたる、破滅への下り坂へとつながるわけです。

下り坂に入った日本に、次々と国難が襲います。
1923年に関東大震災が発生し、首都の半分が焼け落ちる大惨事となりました。
そして1929年には、アメリカから始まった「世界恐慌」が日本にも波及し、
翌1930年には、「昭和恐慌」と呼ばれる深刻な不況が発生しました。
厳しい寒波により東北などで凶作となり、多くの農民が食糧難に苦しみました。

その不満を吸い上げる形で日中戦争が勃発し、最終的に太平洋戦争へと突き進みます。
パール・ハーバーへの奇襲が成功したことで日本国中が舞い上がってしまいますが、
結局、その戦争は無条件降伏へと至ります。
これが1945年で、ちょうど日露戦争の勝利から40年のサイクルなのです。
そして翌年には「徳政令」を実施し、その後5年間の混乱の末、朝鮮戦争が勃発し、
戦後の復興が始まりました。

時代は、戦後の復興から高度経済成長へと移行します。
1964年に開催された東京オリンピックは、まさにその象徴でした。
日本は先進国への仲間入りを果たし、経済成長を続けていきました。
この上り坂のピークが、1985年の「プラザ合意」です。
アメリカは日本の経済力に危機感を覚え、
当時の大蔵大臣であった竹下登をニューヨークのプラザホテルに呼びつけ、
円高に誘導するよう迫りました。
日本は、「円高不況」への対策として低金利政策を取ります。
その結果、日本は「バブル景気」に突入し、好景気に沸いたものの、
それも1990年には崩壊しました。

それ以降、日本の経済力は徐々に衰え、
この30年、国民の所得は全くと言っていいほど増えていません。
一人当たりGDPはシンガポールに抜かれ、いよいよ韓国にも抜かれつつある状況です。

ただし、日本の衰退はこれらのことだけが原因ではないと私は思います。
敗戦から80年、明治維新からはもうすぐ160年が経とうとしています。
明治維新で中央集権が進んだのは理解できます。
当時はそれが適切だったのでしょう。
しかし、それが長く続くことで弊害が目立つようになりました。

敗戦後も日本の官僚制度は変わらず、東京一極集中が進む中、
さまざまな規制で民間を抑えつけるばかりです。
その結果、海外からは「日本は世界で最も強力な社会主義国だ」と評価される始末です。
私も、日本はとても「自由主義の国」とは言えないと思います。

私たちは、この状況を改めなければなりません。
国民の大多数が政治に無関心で、ただバラマキだけを要求し、
政治家は次の選挙のことしか考えず、
国民の歓心を買うためにひたすらバラマキ要求に応える……。
これでは財政が行き詰まるのも当然です。

日本の政治体制や社会構造が、明治維新以降の中央集権化や
官僚主義の影響を受けているのとは対照的に、
アメリカは独立戦争を経て成り立った国です。
重税や搾取に苦しむ中で起きた「ボストン茶会事件」や「独立戦争」は
多くの犠牲を伴いましたが、その結果、自由な国が誕生しました。
フランスも「フランス革命」を経て一時は混乱しましたが、
最終的にはナポレオンの統治によって安定を取り戻しました。

日本はどうでしょう。
明治維新は武士によって進められましたが、一般庶民はほとんど参加していません。
その結果、多くの国民は「気がついたら、いつの間にか国が変わっていた」という感覚に陥り、
政治に対する関心が薄れました。
次代の日本の「国のかたち」を築くには、国民が自ら積極的に政治に参加することが求められます。
単なる権利の主張やバラマキの要求ではなく、きちんと責任も果たし、
政府に対して適切な監視を行ない、コントロールすることが大切です。
これが、未来の日本が真の自由主義国家や民主主義国家へと進むための基本だと私は思います。

新しい年を迎えましたが、日本全体にとってはあまり明るい未来は想像できません。
しかし、一人ひとりは希望を失わず、今日の平和と健康を感謝しながら、
前を向いて歩んで行くしかありません。
皆様にとって、2024年が少しでも良い年になることを願ってやみません。

2023年の年末、京都にある坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓を参りに行った。
2024年が少しでも日本にとって良い年になるよう、願いを込めて祈ってきた。
維新の志士達の願いは、この国の繁栄だったはずだ。
それを受け継いで行きたいものである。
ちなみに、龍馬の遺体はこの坂(写真左)を担がれて葬式会場へと運ばれた。
今は訪れる人もまれだ。
               (2023年12月 京都府・京都霊山護国神社前にて)