天国と地獄
 

2020年9月15日更新

第141回 私が出会った有名人<芸能・芸術・スポーツ編>

 

すでにこのコラムでもご紹介しましたとおり、私は第二海援隊という会社を立ち上げる前、
毎日新聞社でカメラマンをやっていました。
カメラマンの仕事というのは雑多で、女優のインタビューからJALの御巣鷹山墜落事故の取材まで、
まさに天国から地獄まであらゆるものを撮ってきました。
その様子をこのコラムでも以前ご紹介してきましたが、
私が出会った有名人とのふれ合いを書いた原稿がことのほか好評でしたので、
今回もまだご紹介していなかった有名人との逸話を話したいと思います。

まず一人目は、女優の大竹しのぶさんです。
この方はお笑いの明石家さんまさんの元奥さんですが、
たしか映画の撮影現場で2,3回取材しています。
ですから、2回目に会った時には彼女もこちらの顔をうっすら覚えてくれていたようでした。
彼女はテレビ画面で見るのと全く変わらない、本当にそのままの人でした。
映画やテレビの世界では、実際に会ってみたら不愛想でがっかりという場合も多い中で、
とても珍しいことです。
たとえば、聞いた話では大ヒット映画「ダイ・ハード」の主演俳優ブルース・ウィリスは、
劇中ではどこにでもいそうな親しみやすい役柄を演じることも多い俳優さんですが、
実際はすごく気難しい人のようです。
大竹しのぶさんは全くそうではなく、頭も良いし話し方もあのままで、
カメラマンに対しても全く偉ぶったりすることもなく、非常に魅力的な人でした。
今まで取材した女優の中で、人間として一番魅力的な人だったかもしれません。

ちょっと横道に逸れますが、取材で映画の撮影現場にお邪魔した時に驚いたことは、
新聞社とは全く異なり、細部にまで異常なまでのこだわりを持っていることです。
新聞社の仕事は、締切りやシャッターチャンスとの戦いですから、
荒っぽくてとにかく撮れていればいいという感じでした。
もちろん、女優の写真でしたら綺麗に撮ろうとしますが、
現場写真などはなにしろ撮れなきゃ意味がないわけで、
一瞬で相手が逃げてしまうような場面、
たとえば政治家が捕まって小菅の東京拘置所に車で入る時などは、
1秒に満たないコンマ何秒というタイミングを狙い、それを外したら何も撮れないのです。
それを、記者やカメラマンが鈴なりになって押し合いへし合いしている中で撮るわけですから、
それはもう、力仕事です。
それに対して映画では、「これほどこだわるのか!?」という程、正反対の世界でした。
夜汽車のシーンでは、外が雨で汽車の窓ガラスの外に雨水が流れているのを映していたのですが、
その「雨水の流れ方が悪い」「全体の雰囲気がよくない」といった具合です。
そこで、大道具さんや小道具さんが霧を吹いたりするのですが、
その間、スタンバイしている有名な役者数人を3時間位待たせたりしているわけです。
新聞社の人間から見たら「そんなの、どちらから流れようと一緒じゃないか?」
というようなことですが、映画の世界ではそれほど手間をかけて
こだわり抜いて作品を作りあげているわけで、何しろビックリしました。
昔、黒澤明監督が「赤ひげ」という医者をテーマにした映画作品を撮る時、
薬箱に「薬を入れろ」と指示したそうです。薬箱の中は画面に映らないにも拘らずです。
理屈としてはおかしいように感じますが、
監督は「中身がなければ、映画に重みが出ないんだ」と言ったそうです。

次に、皆さんは笠智衆(りゅうちしゅう)さんという俳優をご存知でしょうか?
小津安二郎監督の作品の父親役が有名ですが、黒沢明監督の作品にも出演しており、
何より渥美清さん主演の映画「男はつらいよ」(この映画はシリーズ30作を超えた時点で、
ひとりの俳優が演じた最も長い映画シリーズとしてギネス世界記録に認定されています)の中で、
柴又帝釈天の御前様役をやっていた方です。
昭和の良き老人の姿として、この方の右に出る人はあまりいないでしょう。
この方にも取材したことがあります。
当時、彼は大船に住んでいました。大船観音の裏の方で、
そこから車で4~5分行った昔風の雰囲気の良い和風の家でした。
2度程お会いしましたが、この人も本当に映画で見るままの立ち居振る舞いで落ち着きのある方でした。

そして、「生きている間に会えてよかったなぁ~」と心から思ったのは手塚治虫さんです。
彼は日本のみならず世界的な漫画家ですが、まさに別格でした。
彼のスタジオ(仕事場)は、当時高田馬場のオフィス街の小さな雑居ビルの中にありました。
確か、訪れたのは夜の7時か8時位、24時間勤務の時に行ったことを覚えています。
学芸部の記者がインタビューしているところを撮ったのですが、
その時は「テレビなどで見たままだなぁ~」と思った位でした。
取材の数年後に亡くなられたので、後から考えると仕事場を見学できたなんて、
まさに新聞社の特権でした。
結構広いオフィスだったのですが、その時、彼はたった一人で残って仕事をしていました。
まだお元気で、なんとも言えない独特な声をよく覚えています。

あとは、宇野千代さんという小説家をご存知でしょうか?
彼女は若い時に多くの著名人との恋愛や結婚遍歴を持ち、
その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれています。
朝ドラでも彼女をモデルにした女性作家が出てきたことがあるのですが、
いやな感じの女性として描かれていました。
毎日新聞の出版部から『生きていく私』という本を出して、
100万部を超えるベストセラーになり、大変話題になった時がありました。
私が取材したのは、そのちょっと後だったと思います。
ですから、亡くなる1~2年位前ですね。90歳を超えていらしたと思います。
青山の大通りの裏通りにある小さな事務所なのか自宅なのか、そこでインタビューをしました。
私が未だに忘れられないのは、90歳を超えているというのに彼女の目が赤ちゃんみたいに
キラキラ輝いていたことです。
私はカメラマンですから相手の目をよく見るのですが、
それ以前もそれ以後も、あんなに美しい目を見たことがありません。
きっと、若い時はさぞや魅力的だったのではないでしょうか?
それで男性を魅了したのでしょう。
もちろんそれなりのお歳なのですが、やっぱり綺麗なのです。
「90歳でこれか~!『おばあちゃん』とは言えんな」
「若い時は、どんなだったのだろう?」と思った記憶があります。

最後に、長嶋茂雄さんや王貞治さんのことは皆さんよくご存知ですね。
毎日新聞社時代にプロ野球の取材で東京ドームにはよく行きました。
特に巨人戦の場合は、早めに行ってまず場所取りをします。
私はその後近くの喫茶店に行って、ぎりぎりまで勉強をしたりして
試合が始まる30分位前に戻り、そこから取材を始めるのです。
少し早い時間に戻った時には、選手たちがまだ練習をしています。
すると、王さんとか長嶋さんも2メートル位しか離れていない、すぐそこにいるのです。
ファンだったらもう大感激ですよ。私は野球には全く興味がありませんでしたが、
ファンから見たら「わぁ、信じられない!」という状況ですよね。

このように毎日新聞社のカメラマン時代には、数多くの有名人に取材をしていました。
今でも毎日新聞の学芸部の方とお会いすると、
「あの女優はきれいだった」などという話で盛り上がることがあります。
でも、幸か不幸か、私は有名人の取材だからといって、
特別な興味を持たなかったのです。

有名人の取材は写真が付きものなので
数多く経験したが、あまり有名人に
興味がないので、若い人が好むような
歌手などは、記憶にすらない可能性もある。

(2020年7月 東京・世田谷にて)