天国と地獄
 

2023年10月4日更新

第229回 【緊急報告】ウクライナにスタッフを派遣しました

まず、以下の記念写真のお話から始めたいと思います。
「NPO花見山を守る会」の高橋真一さんと
            (2023年9月 東京・御茶ノ水にて)

今月、私が顧問を務めている「一般社団法人 世界の子供たちのために」
通称「CheFuKo」(チェフコ)というボランティア団体が、
戦争の真っ只中にあるウクライナに、3名の人員を派遣しました。
実際に戦闘が行なわれていた場所にも赴き、現地の人々にさまざまな物資を届け、
温熱(温熱については過去のコラムを参照してください)の施術もしてきました。

その中の一人に高橋真一さんという、福島県福島市の郊外で活動する
「NPO花見山を守る会」という団体で代表を務めている方がいます。
あの福島第一原発が事故を起こした時には、
避難してきた多くの人々を保護し、働き口の世話までしたそうです。
その活躍ぶりは、新聞など数多くのメディアに取り上げられました。
例年、桜の季節には全国から多くの人が花見山を訪れます。
その花見山を見守る高橋さんとチェフコは、かねてから深い関係にありました。

CheFuKo(チェフコ)とは、チェルノブイリの「Che」、福島の「Fu」、
子供の「Ko」、から命名しました。
原発事故で被ばくした子供たちに何かできないかという考えから始めたボランティア団体です。
およそ10年前、チェフコが初めて福島で何かをしようとした際、
まだ存命であった私の父が毎日新聞でこの花見山の特集を読み、
「せっかく福島に行くのだったら、この高橋さんにアプローチしてみたらどうか?」
とチェフコのスタッフに言ったことからご縁が始まりました。
それからチェフコが福島に行く際は、宿泊先を用意して下さったり、
人脈を紹介して下さったりと、高橋さんには数々のご協力を賜りました。

今年の5月に広島で開催されたG7サミットの最終日、
ウクライナのゼレンスキー大統領がわざわざ日本まで来てくれたことに高橋さんは感激し、
「もし、ウクライナにチェフコが行くなら、私も行きます!」
とおっしゃって頂いたことから、今回の訪問が成立しました。

帰国後の9月13日、チェフコの「ウクライナ活動報告会」があったのですが、
そこで高橋さんにもお話ししてもらいました。
その翌日の早朝、私の会社の近くの喫茶店で偶然にも
高橋さんとお会いした際に撮った写真が、先の1枚です。
高橋さんは身体の具合が少しよろしくないとおっしゃっていましたが、
それにも関わらずウクライナ現地にまで行って下さったことに、私は本当に感謝しています。

私自身が初めてウクライナを訪れたのは、
今から10年程前のチェフコが創設されてすぐの頃だったと思います。
チェルノブイリの近くまで行ってみようと、ドイツ経由でウクライナに入りました。
その時にキーウ(以前はキエフと呼んでいましたね)から西におよそ130キロ離れた
ジトーミルという町を訪れました。
そこには、チェルノブイリ原発事故で被害を受けた子供たち
(当時、実際に被ばくした人の3世)をケアしているボランティア団体がありました。
その代表が、ドンチェバさんという女性だったのです。

彼女の紹介で病院や学校を訪問し、たくさんの子供たち、そして先生方に会い、
非常に感銘を受けたことを私は今でも忘れられません。
それをきっかけにしてその後10年間、
彼女の協力によりウクライナの人々と繋がっているのです。
その間、数回にわたってウクライナの子供たちを日本に招いては交流を続けてきました。
こうして私たちとドンチェバさんたちとの関係は深まって行きました。

2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まりましたが、チェフコには
「なんとか現地を訪問して、少しでも役に立ちたい」という気持ちがずっとありました。
それが今回、ようやく実現したのです。

今回のウクライナ渡航はポーランドから国境を越えたわけですが、
検閲がとても厳しく、酷いときには10時間もかかると言われていました。
それが往復の事ですから、スタッフは相当の覚悟を持って臨んだと思いますが、
なんとポーランドから同行してくれたドンチェバさんの采配により、
わずか1時間で通過できたのです。
ドンチェバさんは、膨大な数の車が越境のために並んでいる中、
「この人たちは、わざわざ日本から救援に来てくれました!」
と国境の検閲官に言ってくれて、越境させてもらったそうです。
心温まるエピソードです。

帰りにポーランドへ戻る際は、越境に5時間くらいかかったそうですが、
その時間の長さよりも、移動用に借りたベンツのミニバスに
エアコンが無かったことが辛かったとスタッフから聞かされました。
普段は寒い(夏は涼しい)ウクライナですが、
今年は気候変動の影響で死ぬほど暑かったようで、
車内は40度を越えていたといいます。
まさに、命がけの訪問でした。

今から約1年半前の2022年3月4日に、
ジトーミルにあるドンチェバさんのオフィス前に位置する大きな小中学校が、
夜間にロシアからの空爆で破壊されました。
ドンチェバさんのオフィスにも破片などが飛んできて、
窓ガラスが全て吹き飛んでしまったそうです。
彼女はそれから1週間は眠れず、泣きながら暮らしていたと聞きました。
学校が休みの日で、生徒がいなかったことは幸いでしたが、
ドンチェバさんは威嚇のためにロシアがやったのではないかと推測しています。
どちらにせよ、酷い話です。

 
2022年3月4日、ロシアからのミサイル攻撃を受けた「ジトーミル第25学校」
10年ほど前から「CheFuKo」を支援してくれているドンチェバさん(写真)
のオフィスも、目の前の学校へのミサイル攻撃で窓ガラスが粉々になってしまった。

チェフコのスタッフは、チェルノブイリに近いオブルチという町にも行きました。
そこでは私たちが以前、ウクライナから福島に招いた子供たちの一人の家に泊めてもらったそうですが、
そこでも目の前の家がミサイル攻撃で粉々になっていたそうです。

今でも現地ではたびたび空襲警報が鳴るらしいのですが、
そのときはウクライナの人たちのスマホからアラート警報が鳴るようです
(日本人スタッフのスマホからは鳴らなかったそうです)。
ところが、アラートが鳴っても誰も避難しないそうなのです。
これは悪い意味での慣れではなく、かえって避難中に攻撃に遭ったり、
たとえ防空壕に入ったとしても、運が悪ければ死んでしまうからだということです。

戦争の最中に訪問したチェフコは大歓迎を受けましたが、
ひとつだけ困ったこともあったようです。
なんと、わざわざ日本から来てくれたということで歓迎会を開いてくれたそうなのですが、
そこで50度のウォッカで何度も乾杯させられたというのです。
ここでの乾杯は、いっき飲みということですね(苦笑)。
それがかなりきつかったらしく、
現地のウクライナ人たちは3、4杯くらい当たり前のように「グィッ」とやるそうですが、
日本人はさすがに慣れていませんし飲めません。
下手すると、急性アルコール中毒になってしまいます(苦笑)
こればかりは困ったそうです。

しかし、戦場にも近く厳しい環境の中であるにもかかわらず、
スタッフ3人のために信じられないようなご馳走でもてなしてくれたそうです。
チェフコのこの10年間の活動を称えてもらい、
「私たちのために来てくれて、さらには温熱までやってくれるなんて……」
と涙ながらの抱擁を受けたそうです。

チェフコは、この先もこのような活動を続けて参ります。
募金や支援金もウクライナの子供たちに直接、届けに行きます。
日本もインフレで大変ですが、どうか1,000円でも2,000円でもありがたいので、
貴重なお志をお待ちしております。

私たちは、皆さまから頂いた寄付からは一切、チェフコの経費や運営費、人件費を賄っていません。
全額、現地の子供たちや命がけで働く人たち
(たとえば、今回はウクライナの消防士さんにも寄付をしました)の活動に使っています。
何卒ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

【CheFuKoウクライナ子ども救済基金】
■お問い合わせ先:TEL:03-5577-3155
https://www.chefuko.org/donate.html
■送金先
●三菱UFJ銀行  神保町(ジンボウチョウ)支店(店番013) 普通 0696556
 一般社団法人世界の子供たちのために
 (シャダンホウジン セカイノコドモタチノタメニ)
●ゆうちょ銀行 〇一八(ゼロイチハチ)支店  普通 8196264
 記号番号 10100-81962641
 一般社団法人世界の子供たちのために 
 シャ)セカイノコドモタチノタメニ