天国と地獄
 

2023年3月31日更新

第218回 日本の危機について<その7>

前回は訪れていたニュージーランドで遭遇した災害に関連して、
まさに「危機」についての緊急レポートを書きましたが、
今回は引き続き「現代の危機」について身近な話を進めて行きたいと思います。

歴史を振り返ってみれば、いつの時代にも、どんな社会においても、
自らの身に危険がおよぶほどの危機は常にあったわけです。
一見平和だったと思える江戸時代でさえ、様々なことがありました。

たとえば、江戸幕府開闢から100年も経ち、体制が固まったと思われた時代にも、
あの赤穂浪士の討ち入りが起こりました。
天明・天保の大飢饉、幕末の大混乱は言うにおよばず、
大塩平八郎の乱、大阪夏の陣、冬の陣、島原の乱など、
俗に「天下泰平の260年」と言われた江戸幕府の歴史にも、
世の中が再び混乱に陥りかねない、大変な危機的状況が幾度もあったのです。
歴史上ではあまりクローズアップされませんが、
農民一揆やお家取り潰しなども、幾度となくありました。

そうしたことを考えると、私を含め現代を生きている日本人は、
「社会がひっくり返るのでは!?」というほどの危機をここしばらく経験していません。
私は、日本人は泰平の時代にどっぷり浸かって、
すっかり「平和ボケ」してしまったとつくづく思っています。

昨年、ウクライナでは、ロシアからの侵略・侵攻という危機があったわけですが、
私は「ウクライナの人々はすごいな」と率直に感じています。
国が厳しい状況にあるのに、人々は気丈にたくましく生きているからです。

私は今から10年ほど前に初めてウクライナを訪れ、
チェルノブイリの原発事故で被ばくした人々の孫とも言える
ウクライナの子供たちに実際に会って以降、彼らを支援する活動を行なっているのですが、
ウクライナに行って感じたことは、物価も日本の10分の1ほどで本当に貧しい国なのに、
そこにいる子供たちは日本の子供の5倍、10倍も元気で明るいということでした。

訪れた学校には、チェルノブイリの原発事故で被曝し、
逃れてきた人たちの2世、3世の子供たちが通っていました。
私はそこで何百人もの生徒に会い、またたくさんの先生とも話をしました。
みんな、大変明るくて元気なので放射能被曝の影響はないと思っていたのですが、
実は7割から8割の子供に障害があり、
中には歩けないなど重篤な状態の子もいると聞いてびっくりしました。

そんな過酷な境遇にもかかわらず、彼らは別れの時には
「福島によろしく」「福島に頑張ってほしい」「福島をいつも応援しているからね」と、
日本を思いやり、気遣う言葉を言ってくれたのです。
自分たちを差し置いて相手を思いやる気持ちに、私はとても感動しました。

今回のロシアによるウクライナ侵攻では、
海外に出ていた多くのウクライナの若い人たちが帰国し、義勇軍で参加しました。
祖国のために、命をもささげるこうした行動は、
おそらく今の日本人ではありえないことでしょう。
もし今、日本が中国に侵略されたら、
おそらく誰もが我先に日本から逃げてしまうのではないでしょうか。
こうしたウクライナの人々の強さややさしさを思う時、
「私たち日本人は一体、どうなってしまったのだろう」と考えてしまいます。

ただ、日本がこんな状況だからこそ、私も含め今を生きる日本人は
自分たちを脅かす危機について真剣に考えるべきです。
「日本の危機」を考える上で最も重要な起点は、1945年の太平洋戦争終戦です。
ただし“終戦”と言うのは本当は嘘で、事実を客観的に見ればあれはどう見ても“敗戦”でした。

太平洋戦争から我々が学ぶべき事は、
まずあれが「やってはいけない戦争」だったということです。
当時すでに、アメリカは事実上の覇権大国でした。
彼我の戦力差は歴然で、とても戦いを挑む相手ではなかったのです。
非常に好戦的で頑固な旧帝国陸軍でさえそのことはきちんと調べ、実力差を認識していました。
たとえば、兵器に使う基礎的な機械の生産量は1対50でした。
日本の生産量を1とすると、アメリカは50だったのです。
そんな国と戦って、まず勝てるはずがありません。

今回のウクライナの問題で皆さんもよくわかってきていると思いますが、
戦争は戦力も重要ですが、最後は補給が雌雄を決します。
補給ができなかったらどれだけ兵隊がいても、武器があっても、もうおしまいです。
侵攻初期の頃、ロシアはウクライナを騙し討ちにするため、
身内であるロシア軍にさえも「ウクライナに侵攻する」と言っていませんでした。
兵士たちには軍事演習だと言い、また最初は本当に演習をしていました。
当然、長期戦に備えた補給などありません。

そして、ある日突然侵攻を開始したのです。
ロクな補給がないのですから、途中で食べ物がなくなりました。
ロシア兵たちも人間ですから、食べなければ戦うどころか
生きて行くことすらままなりません。
飢えた兵士たちは、やむなくウクライナの犬を捕まえて、
煮て、焼いて食べたそうです。
私たちが知らないそのような逸話が、いくつも残っていると言います。

補給や戦争の継続に必要な物資をどのくらい作れるかは、
軍隊を「戦える状態にする」ために極めて重要なことです。
その補給に関する能力差が、先述の通り日本とアメリカでは1対50だったわけです。
1対2とかならまだわかりますが、これだけの差がありながら戦争するなどまずありえません。
しかも、4年も無駄にあがいた挙句、本土にまで侵攻されて大都市は空襲に遭い、
2発の原爆まで落とされ、結局はアメリカに無条件降伏したわけです。
これは、日本人全員および天皇陛下までもが殺されても仕方がないというほどの負け方です。

その後、日本は占領統治を受け入れ、
アメリカの言いなりで戦後復興を進めたわけですが、
それによって日本人は考え方まですっかりアメリカの意のままとなりました。
戦前のものは全て悪であり、「アメリカは正義」「アメリカ万歳」となったのです。
そして、アメリカの冷蔵庫やテレビ、その他の物が入ってくると、
人々はみな「アメリカのような豊かな生活をしたい」と憧れました。

確かに、当時の苦しい時代背景を考えればそうした憧れを抱くのは当然でしょう。
なにしろ敗戦後の5年間は非常に苦しく、困難な時代でした。
その苦境を乗り切り、アメリカによる徹底した「指導」のもと、
朝鮮戦争を契機に日本は「エコノミック・アニマル」となって経済発展を手にしたわけです。

おそらく、今の若者の多くは日本がどうやってここまで来たのか、全く知らないでしょう。
無理な戦争やその後の苦しい時代は、決して他の国の話ではありません。
現在の日本はそうした時代の結果の賜物であり、
当時起きた様々な出来事やそれによる人々の思いが、
今の日本社会に様々な形で影響をおよぼしているのです。

ところで、私が子供の頃は家にテレビがありませんでした。
当時は、テレビといえば高級品でしたから、裕福な家庭ならあったかもしれませんね。
私は、よく近所の友達の家に行ってテレビを見せてもらっていました。
5時ぐらいから家に上がり込んで見ていると、5時45分ぐらいに母親が来て、
引きずられて家に帰って行ったのを覚えています。
小学2年生か3年生の頃にようやく家にテレビが来て、その後電話も家に付きました。

そんな状態でしたので、私は小学3年生の頃には
「自分は一生、車に乗れないし、海外旅行にも絶対に行けない」と思っていました。
しかしその後、運転免許もとり、海外へはコロナ前なら年に数回は旅行するまでになりました。
日本全体がそこまで豊かになったのです。

しかし、豊かになったのは良いのですが、多くの大切なものをなくしてしまったと私は痛感しています。
その重要なものの一つは、危機管理能力です。
危機管理能力とは、自分たちにとって大切なものを脅かす危機を察知し、
何か起きた時に自らを守る能力のことです。
私は、現代の日本人は物事の最も重要な部分、
つまり「本質を見極める能力」を失ってしまったのだと思います。

私は、以前から「日本は将来、国家破産するよ」と言ってきました。
その理由の一つは、国民が「国にカネをばらまいてほしい」と熱望し、
政治家が「日銀に国の借金を負わせて、国民にカネをばらまけばいい」
と思っているからです。
それがどんなに危険なことなのか、ほとんどの国民も政治家も気にしていません。

そしてその結果、今の日本政府は借金をすることが当たり前になってしまいました。
税収と同じぐらいの借金をして、毎年税収の2倍ぐらいの歳出をしています。
年収の倍の支出をし続ければ、遅かれ早かれ破産することは小学生でもわかりそうですが、
こと国家予算となると不思議なもので、誰もいまだに危機意識を持っていません。
これが、「本質を見る目」を失った日本の現実です。

私は、多くの日本人がこうした状態になってしまっているからこそ、
さまざまな警告を発信して行きたいと思っています。
そして、「危機意識の欠如」の背景にある歴史の重要性を
今一度、皆さんにお伝えしたいと考え、このコラムを書いています。

私が常に海外を取材しているのも、
日本に居ては気が付かない世界の変化や空気感を感じるためでもある。
平和馴れしてしまうと、その時は良いが先々の危機に気が付かない
可能性が高くなってしまうのだ。
 (2023年1月 ニュージーランド・クライストチャーチにて)