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メッセージ 浅井隆とは 浅井隆経歴  
 

浅井隆の経歴

 
◆学生時代
 
高校時代は理工系を志望。
父と同じ技術者を目指していたが、「成長の限界」という本に出会い、強い衝撃を受ける。

◇『成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』(1972年 ダイヤモンド社) 
「このまま経済発展が進むと、人口増加、資源の枯渇、環境悪化によって
人類・地球は破滅へと進んでしまうだろう」と警告する内容。
経済発展こそ人類の至上命題とされた風潮の最中、
世界一流の科学者、経済学者、教育者らがまとめたこのレポートは、世界中に大きなインパクトを与えた。

浅井は、この問題の解決こそ“人生の課題”という使命感を抱いた。
この想いが後の第二海援隊設立につながる。 

人類の破滅を回避するためには、科学技術ではなく政治の力が必要だと考え、
志望先を親に内緒で変えて早稲田大学政治経済学部に進む。 

在学中に環境問題を研究する「宇宙船地球号を守る会」などを主宰するも、
「自分の知りたいことを本当に教えてくれる人はいない」と感じて大学を休学。
「日本を語るにはまず西洋事情を知らなくては」と考え、海外放浪の旅に出る。 

この経験が「何でも見てやろう、聞いてやろう」という“現場主義”の基礎になる。 

 
◆学生ビジネス時代
 

大学一年の時から学習塾を主宰。 

「日本がイヤになって」海外を半年間放浪するも、反対に「日本はなんて素晴らしい国なのだろう」と感じる。
帰国後、日本の素晴らしさを子供たちに伝えるため、
主催する学習塾で“日本の心”を伝える歴史学や道徳も教える。
ユニークさが評判を呼び、学生ビジネスとして成功を収める。 
これが歴史観、道徳、志などを学ぶ勉強会、セミナーの原型となった。 

 
◆カメラマン時代
 

学生企業家として活躍する中、マスコミを通して世論を啓蒙していこうと考え、大学7年生のときに中退。
毎日新聞社に報道カメラマンとして入社。 

環境・社会問題の本質を突く報道を目指すも、スキャンダラスなニュースばかりを追うマスコミの姿勢に疑問を抱く。
しかし先輩から、「自分の実力が新聞社の肩書きを上回るまで辞めてはならん」との言葉を受け発奮、
世界を股に掛ける過酷な勤務をこなす傍ら、猛勉強に励みつつ独自の取材、執筆活動を展開する。

冷戦下の当時、北米の核戦争用地下司令部「NORAD」を取材。

◇NORAD 
北米航空宇宙防衛司令部(North American Aerospace Defense Command)。
航空、宇宙空間のあらゆる人工物を24時間体制で監視する防衛施設。
核戦争時の司令部としての運用を想定しているため、
アメリカ・コロラド州コロラドスプリングスの山をくり抜いた核シェルターの中にある。

核問題の本質を突く取材をしようと、NORAD司令官に直接手紙を書いた。
するとアメリカのマスコミでさえ容易に取材できないNORADでは異例の取材許可が下りた。
ところが上司からはその重要性を理解されず、取材費は出なかった。
そこで浅井は夏休みをとり、経費はすべて自腹で取材を敢行。
これが転機となって米軍関係者と個人的なコネクションができ、軍事関係の取材を精力的に行う。

 
◆経済ジャーナリストとして
 

国際軍事関係の取材を続ける中、
「冷戦も終わり、これからは軍事ではなく経済の時代」という友人の編集者の言葉が転機となり、
経済に関する勉強を重ねる。 

1990年東京市場暴落の謎に迫る取材で、一大センセーションを巻き起こす。
当時、一般には知られていない最新の金融技術を使って利益を上げた、
バブル崩壊の仕掛け人の存在を暴露するレポート記事を雑誌に発表。
当初は誰にも理解されなかったが、
真相が知れ渡るにつれ、当時の大蔵省官僚からも注目されるほどになった。 

これをきっかけに、経済ジャーナリストとして、
バブル崩壊後の超円高や平成不況の長期化、
金融機関の破たんなど数々の経済予測を的中させたベストセラーを多発した。

 
◆独立
 

1993年「大不況サバイバル読本―’95年から始まる“危機”を生き残るために」が
十数万部のベストセラーとなり、独立を決意。

1994年に毎日新聞社を退社し、浅井隆事務所を設立。
執筆・講演会・勉強会などの活動を行う。

◇浅井隆事務所 
浅井隆個人の事務所。講演会や勉強会などを主催している。 
電話:03-3291-6990

 

◆(株)第二海援隊設立

 

1996年、従来にない形態の総合情報商社「第二海援隊」を設立。
以後その経営に携わる一方、精力的に執筆・講演活動を続ける。 

2005年7月、日本を改革・再生することを唯一の事業目的とする
日本初の株式会社「再生日本21」を立ち上げる。


【第二海援隊の「志」】 
いま日本に必要なのは、技術でも資本でもありません。
志をもって大変革を成し遂げることのできる人物とそれを支える情報です。 

はるか幕末を振り返ると、当時は京都で志士と新撰組が刀で斬りあいをしました。
一方、現代では、“情報”によって斬りあうのです。まさに情報こそ“力”なのです。
そこで私は本物の情報を発信するための「総合情報商社」こそ、
いまの日本に最も必要と気づき、自らそれを興そうと決意したのです。 

硬直化した幕府を薩摩藩や長州藩などの雄藩が倒したように、
「志のある企業」「志のある資金」で、日本を変革する。
これが、第二海援隊の大きな目的=「志」です。